日記・コラム・つぶやき

今月のカレンダー 参議院選挙に想う

Photo  絵は、星野文昭さんの「とうもろこし、なす、とまと 夏の味」(09年7月15日)です。

 今朝の新聞に、一昨日の参議院選挙の投票の詳しい最終結果がでました。それによると、沖縄県の投票率が、戦後最低、しかも全国最低なのです。

 民主党政権の「日米合意」に怒り、9万人以上が結集したと言われる4・25県民大会をやりぬいた沖縄県民にとって、「普天間基地問題」「辺野古新基地建設」が争点から隠されたとはいえ、なぜなのかと先ず戸惑いました。

 「普天間基地基地即時閉鎖」を真正面から掲げた山城さんが、出遅れながら、しかも日本共産党の党略による独自候補の擁立と言う裏切り的対応にも屈せず、自民党現職の島尻候補に肉薄したことや、比例区での政党名での投票で、社民党への投票が29.2%とトップ(全国平均は3.7%)だったことなどに示される政治性の高さからも意外でした。

 これは、何を示しているのでしょうか。

 沖縄県民のかなりの部分が、怒りを覚えながら、国政(ヤマト)に失望し、「投票しても同じだ」とそれぞれのみなさんの殻の中に閉じこもられたということではないのでしょうか。

 「安保改定50年の節目の年」と昨年来、ことばにしながら、何一つこれということを実現できていない私たちヤマト。65年にわたる米軍による軍事占領、基地支配、わずか0.6%の国土に日本全体の75%もの米軍基地がひしめく現実を、口にしながら何もできてこなかったとしか言いようがない私たちヤマト。そして民主党政権による5・28「日米合意」。この新たな「屈辱の日」を強制された沖縄県民の多くの皆さんの絶望的なまでのヤマトへの失望感が、こうした事態を生んだのではないでしょうか。

 私たちは、このことを深刻に受け止めなければならないのではないでしょうか。今こそ、この秋の9・12名護市議選、11・28沖縄知事選の沖縄現地での闘いを軸に改めて立ちあがろうとしている沖縄の皆さんの闘いを、私たちヤマトが支えぬき、ともに「安保体制打倒」「基地撤去」を実現する道筋を勝ち取らなければならないのではないでしょうか。

 こうした沖縄の皆さんと共に闘うことに自らの人生をかけきって、無実の罪で35年間も獄に閉じ込められ続けている星野文昭さんをいまだに奪い返せず、保釈を、再審を勝ち取り得ていない私たちの現実は、こうした沖縄の皆さんの失望を生み出したものと同じではないでしょうか。無実の罪で、35年も囚われ続けているなどという理不尽なことがどうして許されるでしょうか。

 想いを新たにして、星野さんの早期釈放、再審を求め頑張りましょう。

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今月のカレンダー

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 今月のカレンダーは 「沖縄の光のなかの果物たち」 (09年4月28日の作品)です。

 おりしも「普天間基地移設問題」で日米合意を振りかざすしかできず、鳩山政権は崩壊しました。目前の参議院選挙対策として菅政権に変わろうとその本質は何ら変わりません。4・25県民大会、そして5・16普天間包囲、また雨中の名護市民集会に示された沖縄県民、名護市民の怒りは、最早おしとどめることはできません。

 ことの本質は、「移設ありき」ではなく、日米地位協定に象徴される安保体制そのものをめぐるところにあります。この沖縄県民の怒りを前に、ヤマトが、改定50年を迎えたこの安保体制、日米地位協定を「日米合意」という枠組みで済まそうとすることを許すのかどうかがかかった問題であることは明らかです。

 星野文昭さんが冤罪をも、人生をかけ、命をかけて糾弾し闘い続けているものこそここにあるのではないでしょうか。50年目の「6・15」を迎えた今日、私たちは今ここで闘うかどうかが問われているのではないでしょうか。

 三里塚で、沖縄で、岩国で、待ったなしに今、ここで起つかどうかが問われているのです。安保廃棄、米軍再編を許さない闘いを、三里塚、沖縄、岩国の闘いを通して実現していきましょう。

 兵庫・星野文昭さんを救う会では、今週の土曜日、6月19日午後2時から、恒例のJR元町駅前での街頭署名活動を行います。お時間のある方は、お手伝いください。なお、雨天の場合は中止することがあります。

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今月のカレンダー

105  左の絵は、「今月のカレンダー」掲載の「母の日のプレゼント、バラ」です。

 先月の4月25日の9万人の沖縄県民大会(下写真)を引き継いで、5月16日には、普天間基地を包囲するヒューマンチェーンが呼び掛けられています。

 他方、同じ日、三里塚では、迫る現地攻防を前に「団結街道閉鎖阻止! 第3誘導路計画粉砕! 沖縄闘争連帯 5・16三里塚現地闘争」が呼び掛けられています。そして現地攻防が具体的に市東さんの農地を巡って始まろうとしています。

 そして5月23日には、岩国で1万人規模の「見直せ 米軍再編 岩国大集会」が呼び掛けられています。

 「今日、鳩山首相は、沖縄県民に押し付けるために来るのではなくアメリカに行って交渉すべきだ」と東恩納琢磨さんが昨日の「沖縄米軍基地撤去! 9条改憲阻止 5・3共同行動」で明らかにされたように、グラグラの鳩山民主党政権に対し、怒りの決起が「米軍再編」「日米安保」をめぐって陸続と続いています。

 こういう局面だからこそ、星野文昭さんの無実を明らかにする再審開始、即時釈放を求める闘いが重要になっています。

 5月3日の憲法集会では、大阪で38筆、神戸で18筆の再審署名が集まりました。

 また、5月8日(土)午後2時から、JR元町駅前での星野さんの再審を求める街頭宣伝、署名活動を行います。お集まりください。

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沖縄・県民大会

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 4月25日、沖縄県読谷村で開かれた「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外を求める県民大会」に行ってきましたが(上の写真は26日の沖縄タイムスの2面にわたる写真)、静かな中にも沖縄の人々の意志がはっきりと打ち出されました。それは正に「もうこれ以上我慢ならない」という戦後65年、明治以来130年の差別と支配、人権蹂躙の歴史に対する怒りを明確に表していました。

 しかし、鳩山連立政権は、今日28日になっても、辺野古新基地建設、一部機能の徳之島移転を軸に考えを進めようとしていることが報じられています。米軍、そしてアメリカ政府自身が米軍再編の指針の中でも「地元の受け入れ態勢のないところは撤退する」と明言しているにもかかわらず。

 先日3月22日、「普天間の閉鎖と返還を訴える宜野湾市民アクション」の中で、「鳩山連立政権がこれ以上沖縄を愚弄し、手を打てなくなった時、普天間が継続されるだろう。むしろそれはチャンスだ。普天間の3つのゲートの前に我々県民が座り込み、基地機能を停止させた時、アメリカは国外に基地を持っていくしかないだろう」と実力決起の闘いの決意が述べられていました。

 先日4月6日、内閣府に鳩山首相への申し入れを行った時、知花盛康さんは、「鳩山政権が誤れば、もはや沖縄の怒りのマグマはとどめようがない形で必ず爆発する」とも。

 私たちヤマトの人間は、今こそ、この沖縄の皆さんの怒りのマグマをとことん受け止め、学ぶ中から、闘いを作り上げなければなりません。すでに徳之島で、そして5月23日には岩国で、そして三里塚では5月16日に闘いが、5月16日の普天間包囲の闘いに呼応して呼び掛けられています。いずれもが米軍再編と闘う人々です。闘いの方向は指し示されているのです。

 改定50年を迎えた日米安保を廃棄する、日米地位協定をやめさせる闘いが求められています。多くの沖縄県民のうねりのような闘いをはじめとした闘いと共に、私たちの道筋を作っていきましょう。そうしたなかにこそ、星野文昭さんの冤罪を晴らし、獄壁を破り、星野さんを奪還する道があるのではないでしょうか。とりわけ星野文昭さんは、1971年、基地つき沖縄返還に異を唱え、立ちあがったことによって見せしめとしてでっち上げられたのですから。

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徳之島に1万5千人  さあ、25日沖縄・読谷へ

10418  昨日、島民が2万6千人の徳之島で1万5千もの人々が亀津新漁港広場の会場を埋め尽くして普天間基地の徳之島への移設に反対して「長寿、子宝、癒しの島に米軍基地はいらない」と怒りの声を上げられました。(左写真は、「沖縄タイムス」より転載)

 そもそも世界最悪、最も危険な基地と言われる普天間基地は、宜野湾市民の生存権をも脅かすもので、即時閉鎖しか道はありません。それを日米安保体制を根拠に「移設問題」にすり替える鳩山連立政権とマスコミの報道が間違っています。そしてこのことは、今まさに、安保改定50年を迎えた今年こそ、安保廃棄を実現すべき年であることを指し示してもいます。

 1971年11月14日、「基地つき沖縄返還」に怒りの声を上げて反対した闘い抜いた若い労働者や学生の中に星野文昭さんはおられました。そして冤罪、沖縄をめぐる怒りの声に対する見せしめとして、星野さんは無期懲役を科せられ、今も獄中から「沖縄奪還、安保粉砕、日帝打倒」を叫び続けています。

 先日は、消灯時間後に手紙を1行だけ訂正したことと、昼食に出たぜんざいを「入れ歯ケース」に入れて冷まそうとしたことを理由に、3月30日から4月5日まで懲罰として「閉居罰」が執行されました。部屋の中央に正座して、食事、睡眠、洗面、トイレ以外では姿勢を崩さず正面を向いていなければならないというものです。そして処遇に関わる降類がされました。10425_2 星野さんの無罪を明らかにするための第2次再審が求められていることと、沖縄での怒りのマグマが爆発しようとしていることへの「懲罰」「見せしめ」でなくてなんでしょうか。本当に許せません。

 沖縄の米軍基地撤去の闘いと決戦を迎えた三里塚の闘いの爆発の中から、星野さんを取り戻す道が開けると確信します。

 4月25日、島ぐるみで取り組まれる沖縄の県民大会に三里塚反対同盟の萩原進さん、市東孝雄さんとともにかけつけ、沖縄のみなさんと共に闘いましょう。

 

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今月のカレンダー

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 今月のカレンダーは、昨年4月の星野文昭さんの作品「初夏に歩く、京都東山・哲学の道」です。

 星野文昭さんが人生をかけて闘ってこられた沖縄のみなさんの闘いが新たな爆発局面を確実に迎えようとしています。普天間基地即時撤去、県内新基地建設反対のその声は、1960年代、70年代を超える奔流となろうとしています。

 「日米関係の深化」と言いなし、反動勢力による巻き返しの中グラグラになった鳩山連立政権は、結局、なすすべもなく普天間基地の継続や沖縄県内の新基地建設へと流れ込もうと策動を強めています。こんなことが許されるはずがありません。単に鳩山が約束したということ以上に、琉球併合130年、戦後の新たな琉球処分から60年、復帰して38年、一貫して差別を強制し、米軍基地を押し付け、その一方で戦後の発展と繁栄を謳歌してきた本土、ヤマトのあり方が今問われているのです。

 09118 「もう我慢できない」と沖縄の皆さんは、自らの足で立って闘いに立ちあがっておられます。昨年、11月8日の2万1千人の県民集会(右写真)、そして1月24日の名護市長選挙における稲嶺進さんの勝利は、確実に新たな闘いの爆発へとうねりが始まっていることを示しています。

 この間の政府の動きに抗議して、4月6日から9日、安里英子さん、安次富浩さん、金城実さん、知花昌一さん、真喜志好一さんらが呼び掛けて、40人~50人の沖縄行動団による首相官邸前での座り込みが行われようとしています。

 そして4月25日には、沖縄読谷村の運動公園で超党派による「県民集会」が開かれます。10万人規模と言われていますが、ヤマトからもこぞって参加しようではありませんか。先日の3月28日の三里塚全国集会でも、反対同盟の萩原進さんから市東孝雄さんと共に同盟旗を翻させて参加すると表明があり、関西からも永井さん、山本さんの関実世話人を先頭に大挙参加しようと準備が進んでいます。

 三里塚と沖縄を闘ったがゆえの星野文昭さんへの冤罪を晴らし、奪還するには、もっとも重要な闘いの陣形が生まれつつあると私たちは考えます。頑張りましょう。

 なお、前回のブログで、兵庫・救う会の街頭署名活動を、4月24日とお伝えしましたが、この県民集会と重なり出来ませんので延期させていただきます。5月8日(土)午後2時~3時にできればと考えております。場所は、JR元町駅前東側の歩道です。よろしく。

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今月のカレンダー 沖縄に思う

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 鳩山政権は、普天間基地閉鎖の問題を、県内移設で乗り切ろうとしています。辺野古自体は諦めたような振りをしながら、キャンプシュワブ、あるいはホワイトビーチ(うるま市)沖合いの津堅島(つけん)を検討しているということが今日報じられています。

 これは、昨年の11・8県民集会、そしてこの1月24日の名護市長選で示された沖縄県民の「これ以上の県内基地建設は認められない」「米軍基地撤去」の想いを真っ向から踏みにじるもので到底許されません。

 しかも、鳩山政権は、辺野古から車で1時間余り北へ行った高江のヘリパット(演習場)建設に反対して座り込んでいる住民2人を告訴するとともに、2月末より工事に着手しました。16戸の高江の住民が住む地域を取り囲むように建設が計画されている6つのヘリパットは、これまでの米軍ヘリコプターの演習用のヘリパットのほぼ2倍の大きさのものです。V22 これは辺野古新基地に100機配備される予定だと言われていたMV22オスプレイ(右写真)の演習用のものなのです。抗議する住民を告訴し、工事を着手したということは、このヘリパットを使うMV22オスプレイが配備される新基地が、県内にあることを前提としています。つまり、鳩山政権は、自民党政権が進めていた沖縄への新基地建設を「普天間基地移設」の口実のもとに進めるという米軍再編の一環を何一つ変えることなく進めようとしているのです。こんなペテンが許されるでしょうか。

 そもそもMV22オスプレイは「未亡人製造機」と言われるくらい、事故の多い、そして凄まじい爆音を周辺に撒き散らす垂直離陸のできる、そしてイラク侵略戦争で初めて実戦配備された戦闘機で、ヘリコプターではありません。こんな航空機の演習を住居周辺でやられれば、酷い生活破壊、健康破壊を引き起こすことは明らかで、高江の住民が座り込んで反対することは当然です。

 沖縄の皆さんは、「普天間基地一つが無くなっても米軍の戦略は何一つ変わらないし、アメリカは困らない」「移設ではなく、普天間基地は即時閉鎖しか道はない」と声を上げておられます。この声を踏みつぶそうとする鳩山政権を許すかどうか、止めさせるかどうかは、私たちヤマトの人間の責任です。

 徹底非妥協で獄中35年を闘い抜いておられる星野文昭さんの闘いの柱の一つは、何よりも沖縄の米軍基地撤去です。私たちは、今こそ、米軍支配65年、日本帝国主義による差別支配130年を告発し、基地撤去の血叫びをあげておられる沖縄のみなさんの闘いを、私たち自身の闘いとして、巨大なうねりをこのヤマトで生み出し、闘い抜き、鳩山政権に突きつけて行かねばなりません。それが星野文昭さんを、再審を実現し、即時釈放をかちとる唯一の道ではないでしょうか。

 最初の絵(今月のカレンダー)は、09年3月14日に、文昭さんが描かれた「暁子と歩く春の小道」です。                        

                                                             

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今月のカレンダー

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 今月のカレンダーは「大根、キャベツ・・・・春の味」(09.3.8制作)です。

 1月24日、名護市長選挙は、自民党や右翼、本土資本のカネをばらまいた凄まじい取り戻し策動、脅しをはね返し、「辺野古新基地反対」を鮮明に掲げた稲嶺進さんが勝利しました。そして1週間後の1月30日、このうねりを受け、100人を超える沖縄行動団、辺野古住民の代表なども参加して、東京・日比谷野外音楽堂を文字通り立錐の余地もない6000人を超える人々で埋め尽くした「チェンジ!日米関係 普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない 1・30全国集会」が開かれました(右下写真)。

 鳩山政権の平野官房長官は、「民意を斟酌する必要はない」「法的措置もありうる」と暴言を繰り返し、この沖縄の皆さんの怒りの火に油を注ぐ結果となっています。10130_3

 住民の生活と生命を脅かし、「世界に例のない基地」といわれる普天間基地は、直ちに閉鎖し、撤去することが唯一の道です。移設先があるかどうかの問題ではないのです。日本に主権があるのならば、それしかないはずです。この勝利を受けて、沖縄の皆さんは「出来ないのならば、もう日本を相手にしない。9条をもらいうけて独立する」と言われ、「ウチナーは闘った。今度はヤマトの番だ」と基地撤去、安保廃棄の闘いへの決起を促されています。

 星野文昭さんの獄中35年を通した徹底非妥協、不屈の闘いは、そうした私たちヤマトのありようを指し示しているのではないでしょうか。3、4月の沖縄の闘いに呼応して、本土で、ヤマトで、米軍基地はいらない、改定50年を迎えた安保条約廃棄の闘いを全力で取り組もうではありませんか。

 そしてこの春、天神峰現闘本部裁判闘争、2・25千葉地裁包囲闘争を決定的な水路にして決戦を迎えた三里塚とともに、沖縄・三里塚を貫く闘いとしてこの闘いをやり抜くことこそ、71年、三里塚を闘いつつ11・14渋谷暴動闘争に決起した星野さんに応える道ではないでしょうか。

 この闘いの高揚の中から、星野再審、釈放の道が開かれてくるのではないでしょうか。

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死者の声聞く

05623_2 炎天下の6月23日 / 糸満の道々 死者の声聞く / 見開いたその眼は 眠らない / 沖縄

 左の絵は文昭さんの「冬を暖める野菜」(05年6月23日)、上の詩は、それに添えられていた暁子さんのものです(「詩画集」より)。

 この詩を読みながら、つい最近読んだ本を思いました。大田昌秀さんが1972年に著した「沖縄のこころ-沖縄戦と私-」(岩波新書)です。沖縄師範学校の生徒として鉄血勤皇隊に配属され、沖縄戦に従軍した経験を後の蒐集された豊富な資料をもとに淡々と描いておられるものです。その最後の章「おわりに」に以下のような一節があります。少し長いですが・・・・。

「久米島は、沖縄本島の南西およそ48カイリの海上にあり、周囲が40キロ余、戸数が2500戸、人口が1万2千人ほどの小さな島である。この島には、山頂にレーダーをすえつけ、通信任務にしたがう海軍兵が、鹿山隊長を入れて30人ほどいるだけで、防備らしい防備もなかった。

 米軍は6月23日に沖縄本島を攻略した後、周辺の離島に攻撃のホコ先を向け、3日後に久米島にも上陸した。米軍は上陸に先立ち、沖縄本島、嘉手納の捕虜収容所にいた同島出身の仲村渠(なかんだかり)明勇さん(25歳)に宣撫員として同行を求めた。仲村渠さんは、郷里の人々を救うことが出来るならば、と危険を感じながらも同意した。米軍が上陸に際し、軍艦3隻で艦砲射撃をしようとしたのを、かれは、久米島が無防備だということを告げて止めさせた。そして郷里の住民たちに、沖縄本島も占領されてしまったから、無益な抵抗をやめ山を降りて自分の家へ帰るように説いた。

 これが友軍兵士からスパイ活動をしたとしてねらわれ、日本が降伏してから3日目の8月18日、仲村渠さんは、久米島仲里村の銭田という部落で、妊娠中の妻シゲさん(26歳)、および長男の明広ちゃん(2歳)もろとも惨殺された。しかも鹿山隊長以下の友軍兵士は、一家の死体を家ごと焼き払った。

 2日後、具志川村字上江洲に住んでいた朝鮮人の谷川昇さん一家も、スパイ容疑を受けて日本刀で斬殺された、妻のみち子さんをはじめ、長男(12歳)、次男(6歳)、長女(8歳)、次女(3歳)のほか乳のみ児まで犠牲になった。昭和47年4月4日付けの一地方新聞は、ほかにも同様の殺害事件があったことを・・・・・。こうして久米島における戦争犠牲者40人のうち、兵士を含め29人までが友軍の守備隊兵士によるものであったという。

 ・・・・(中略)・・・・。

 久米島の住民虐殺事件は、復帰を1ヶ月後にひかえたさる4月4日朝(1972年)、鹿山元隊長がJNN系テレビ・ニュースに出演し、殺害された人々の遺族や関係者の目前で、「指揮官として当然のことをしたまでで、謝罪する気はない」と、開き直る態度に出たことから、20数年の歳月を超えて一挙に表面化した。同日の『沖縄タイムス』は、テレビ対決の模様をくわしく報じているが、ちなみにそれによると鹿山元隊長は、報道された事件のあらましにほとんど間違いがないことを認めた上で、次のように発言している。

 「私は日本軍人として戦争に参加し、米軍が進駐したばあい、軍人も国民も、たとえ竹槍であってもうって一丸となって国を守るのだという信念、国の方針で戦争をやってきた。だから敵に好意をよせるものには断固たる措置をとるという信念でやった。(後略)」

 テレビを視聴していた沖縄の住民は、わが耳をうたぐった。だが、聞きちがいではなかった。」(同書 215~218ページ)

 星野文昭さんは、1971年11月14日、こうした沖縄のみなさんの思い、「死者の声」(歴史)に真正面から向き合い、闘い抜いたのだ。あの日、決起した多くの労働者、学生がそうであったように。

 「在特会」が跋扈し、田母神元航空幕僚長などの輩が蠢く今こそ、私たちは、あの1971年当時の安保・沖縄決戦に決起した多くの労働者、学生の想いに学び、真正面から自らの日本人(ヤマト)としての立ち位置を見据え、日米安保改定50年を迎えた今を闘い抜いていくことが必要ではないだろうか。

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沖縄基地の、いま。星野さんの、いま。

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鳩山政権が決断ができず、とりあえず「普天間基地移設」問題は先送りされました。いよいよ焦点は、1月24日に投票日を迎える名護市長選挙に移ったかに見えます。
 先日12月14日に「沖縄から基地をなくせ!兵庫県集会」で講演されたヘリ基地反対協代表委員の安次富浩さんは、「移設ではない。閉鎖だ」と明快に問題点を指摘しました。市街地のど真ん中にある米軍基地・海兵隊の戦闘機やヘリコプターの演習による爆音、沖縄国際大学における墜落事故に見られるように、普天間の街の現状は深刻な人権問題となっています。安次富さんは、エクアドルのマンタ基地の撤去やフィリッピンの例を示しながら、「基地を撤去する条件として代替え地を提案した国がありますか」と訴えかけました。日本を超える駐留米軍を抱えるドイツでさえ、日本の「おもいやり予算」の10分の1しか負担していません。日本はこれまで、米軍支援に30年間で5兆3千億円も国民の税金を投入しています。こんなうまい話しを米軍が手放そうとしないのは当然です。どこに日本という国の「主体性」はあるのでしょうか、と安次富さんは話しました。
 「本来、基地を閉鎖することが問題なのであり、悲惨な現状はアメリカ政府も認めているのだから、鳩山政権は基地の閉鎖を要求すればいい。なにを躊躇する必要があろうか」と、明快に方向を示しました。
 同時に、ジュゴンやアジサシなどいくつもの辺野古の自然の写真を示しながら、平和とは、環境を守ることでもあるのだと指摘された上で、つい先日、大浦湾で環境団体が行った調査で36種ものエビやカニの新種が発見されたのに、「環境アセスメント」の名のもとに3年もかけて行われた防衛施設局の調査では報告されず、明らかに隠されていると安次富さんは糾弾しました。09118
 11月8日、宜野湾市で開かれた県民大会(右写真)が、2万1千人の結集のもとに「普天間基地の国外移設」「辺野古新基地建設反対」を「基地撤去」の願いを込めて決議したことを報告し、「神戸で、こういう平和の問題で2万1千人も集められますか」と私たちに問いかけました。
 いまも獄中にある星野文昭さん。彼の不屈の闘いは、この沖縄の皆さんの、いまも闘い抜かれている米軍基地撤去の願いと一つです。1971年11月14日、星野さんは「基地つき沖縄返還協定」に反対する多くの労働者、学生とともに敢然と決起しました。それゆえに、国家権力によって、沖縄闘争へのみせしめとして冤罪事件をでっち上げられ、殺人罪の汚名を着せられ35年の長きにわたる獄中生活を強いられています。しかし、星野さんは、そうした弾圧に屈することなく、いまなお沖縄の皆さんの願いに応え、「基地撤去、日米安保体制打倒」を獄中から叫び続けています。
 沖縄闘争の新たな高揚を沖縄の皆さんとともに作り上げる中で、獄中35年の星野文昭さんを一日も早く奪い返し、再審・無実を実現しましょう。ここにこそ勝利の道が。

(「兵庫・星野さんを救う会ニュース」第22号より転載。「ニュース」は今日皆さんのところに発送させていただきます。最初の星野文昭さんの絵は、2004年「冬を暖める野菜たち」です。)

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