日記・コラム・つぶやき

今月のカレンダー  淡々と

Photo  昨年の11月、姫路での星野絵画展をしていた最中にあった、徳島での「星野ライブ」を訪れて、初めて聴き感銘を受けて忘れられず、この6月に加藤さん、河野さんお二人をお招きし、兵庫の救う会としてライブを楽しく行いました。

 それだけに、この11月の「星野ライブ」を楽しみにし、兵庫の救う会として取り組んでいくことを相談しておりました。所が、その私たちの想いが、存在が理由とされて「星野ライブ」が中止とされ、徳島救う会の戎野代表が辞任声明を出されるまでに至りました。

 加藤さん、河野さん、そして戎野さんをはじめ、一日も早く星野文昭さんをご家族のもとに取り戻したいと願って来られた徳島のみなさんをはじめ多くの皆さん、とりわけご家族の皆さんに私たちの力不足から起こったこととして心からお詫びいたします。

 しかし、戎野さんの想いとして書かれているように、そして知花昌一さんからの加藤さん、河野さんへのメッセージ(10月28日)にありますように、私たちは、星野文昭さんを一日も早く暁子さん、ご家族のもとに取り戻すために、仮釈放も含むあらゆる手だてをこれからも尽くしていくとともに、文昭さんの無実を明らかにするための再審実現にむけた出来ることを、全力をあげてやっていきたいと願っております。

 この間、私たち「兵庫・星野文昭さんを救う会」について様々な風評が流され、ついにこのような事態に立ち至ったことについて、支援してくださっている賛同者の皆様にも、私たちの力不足のゆえに起こったこととして、心からお詫びいたします。しかし、一部に流布されているような「徒党」を組むような思いは毛頭ありません。先に述べましたように、文昭さんにかけられた「冤罪」をはらし、一日も早い釈放を勝ち取るために、一昨年11月の結成の想いを大事にし、淡々と取り組みを進めていきたいと念じ、皆様の変わらぬご支持、ご支援、そして共に文昭さんと喜びあえる日を迎えることができることを心から念じております。

 他の世話人の皆様が、この私の想いをご支持してくださることを確信しております。そして、加藤さんのバンドのライブがご成功されることを、遠くから祈念いたします。

 2009年11月4日  兵庫・星野文昭さんを救う会世話人                        松原康彦

 「僕はいま積極的に、日本の沖縄にたいする潜在主権という言葉を忌避するほかないと感じる。沖縄が、毒ガスから本当に解放されるためには、沖縄の人間の主権によって沖縄が把握されるほかにないが、その沖縄の人間の主権をおかして毒ガスのがわに立っているのはアメリカの『主権』のみではない。いま端的に、日本国の国政から参加を拒まれることで現実には行使できていない沖縄の民衆の主権をも、あたかもつつみ込んでいるすべての日本人の主権であるかのように擬装して、本土から日本国の潜在主権というもうひとつ別の『御意』をもちこんでゆくところの、われわれもまた毒ガスの側に立っている。」(1970年 大江健三郎著「沖縄ノート」より)

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辺野古新基地建設反対

 ゲーツ米国防長官が、「日米軍事同盟強化」を進めようとする鳩山政権に対し、普天間基地移設の代替え案や先延ばしを拒否したことが、今朝の新聞に大きく報じられている。09127 辺野古基地建設が、「米軍再編」の柱であり、普天間基地問題の解決のためなどではないからだ。断じて許せない。沖縄県民の闘いに応え、辺野古新基地建設反対の取り組みを強めよう!(右写真は、09年1月27日撮影)

 

 「・・・・・真壁の前に、カーブヤー(蝙蝠)ガマという大きな壕があるんですよね。そこが何部隊か知りませんが、軍隊が使用していましたのでね、そこへ行きましたら、はいり口は非常に大きくてですね、この公民館の広さくらいありましたんです。入口にススキがいっぱいしげっていましたが、そこに友軍が二、三人いましたので、恐れ入りますが、わたしたちははいる壕がありませんから、私たちの家族を入れて下さいませんかとお願いしました。そうしたら兵隊さんたちは、口をそろえて大声で、『できない、おまえたちは戦争のじゃま者だ』とまたどなられました。・・・・」(北中城村 安里要江さん 当時25歳)

 「・・・・そのあとで、校長先生が、いいか、とおっしゃって、自分の奥さんの首を剃刀で切ったんです。奥さんは私のすぐそばにいました。うなる声と、血がすーっと出るらしい音が聞こえました。そして奥さんは、私はまだよ、まだよ、とおっしゃっていました。・・・・奥さんが死にかけているとき、私は子供たちに、お父さんのところへ行くんだから、こわくないね、お父さんのところに行こうね、と言い聞かせたら、子供たちはすなおに、はい、と答えていました。そのとき、また血が飛び出る音がしました。・・・・」(座間味村 宮里美恵子さん 当時29歳)

「・・・・こうして、当時47万ていどの沖縄本島の人口のうち20万近くが死んだ。生き残ったのは、沖縄本島ならびにその属島を合わせて30万名である。住民の3分の1を死なせた戦いの意味は如何。この問いはいまも鮮烈な血の色のかがやきと、もっとも鋭くもっとも重厚な意味を失っていない。それは、死者の数が莫大であるというだけではない。沖縄住民が男も女も老いも若きも総力をあげて日本軍に協力しようとしたのにたいして、日本軍は沖縄の住民に背筋の凍るような冷酷な仕打ちをもって報いたという事実をどう考えるか、という問題である。・・・・・」「・・・・日本軍は沖縄住民の善意の行為すら理解できないほど眼がくらんでいたのだろうか。いな、それは本土日本人の幾世紀にもわたる氷のように冷やかな沖縄住民への差別感、そしてそれにもとづく不信感が、沖縄戦において決定的に深淵をのぞかせた、ということなのだ。・・・」「・・・・問われるべきは、日本軍の行動とその裏側にある日本人の体質である。沖縄戦において、非人間性をみごとに暴露した日本人は、沖縄人にたいして『醜い日本人』であるばかりではない。存在それ自体として『醜い日本人』なのである。・・・・」(著者・谷川健一の「証言の意味するもの」より)

 いずれも、中公新書「沖縄の証言(上)」(1971年7月出版)より引用。

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第二次再審署名活動を行います

 獄中で34年間闘い抜く星野文昭さんの第二次再審を求め、即時釈放を求める署名活動と宣伝を、10月24日(土)午後2時~3時、JR元町駅前で行います。

 奈良原追放に敗れた謝花昇は、沖縄に選挙権を求め、国会議員を求めて参政権運動、民権運動に命をかけて奔走した。そして1899年(明治32年)の議会において、沖縄に選挙法を施行する案が上程されたものの、結果は先送りされた(12年後に実施)。翌年2月、足尾鉱毒事件をめぐる川俣事件が起こり、田中正造が議会に対し「亡国に至るを知らざればこれ即ち亡国の儀につき質問書」を提出し、政府と議会を糾弾。野に下った。この二人が知り合っていたという。

「相会する東西の先駆者、しかも事志と違って悶々たる心情に帰らなければならなかった二人、いかに語り合い、いかに激励し合い、しかもいかに慰め合ったことであろう。

 われわれは義人田中正造の生涯を思うとき、特にその謝花と相似る事はなはだ多きを思い出さざるを得ぬ。彼の一生は藩閥と暴吏と悪資本家財閥との闘争によって終わっている。幾度か牢獄の門をくぐり、社会の誹謗、嘲笑を受けつつしかも不撓不屈、少しも世と妥協することなく、少しも節を屈することなく最後に全く不遇の中に窮死した。・・・・(中略)・・・・、二人はともに数十万の農民を率いつつ、ついに解放の彼岸を見ずむなしく死ななければならなかった。その晩年の運命はともに悲惨の極、田中は市井の放浪者のごとく窮乏と苦悩の中にあり、じかも自らその苦境を嘲笑して「辛酸すこぶる佳境に入る」と称したと言われている。その死するや全く辛酸佳境の絶頂にあったわけであり、謝花は後述のごとく狂気(本文のママ)してむなしくなった。世の先駆者の受くる運命は大方かくのごとくあるけれども、さりながらなお思い出して一掬の涙なきを得ぬものである。」(「沖縄の自由民権運動――先駆者謝花昇の思想と行動」大里康永著 188ページより)

 この二人について、これが事実ならば、凄いの一言に尽きる。

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10月のカレンダー

10  絵は、「秋を咲くコスモス」(08.10.21文昭さん制作)。

 政権は変わったけれど、民主党の鳩山がアメリカで「日米同盟の強化」を唄い、北沢防衛相が、沖縄を訪問しながら「必要ない」と辺野古の座り込みの現場を訪れることもなく官僚どもと会うだけで済ましたように、民主党連立政権の基本的姿勢は自民党の日米安保軍事同盟政策を引き継ぐものでしかないことを、早くも明らかにした。

 こうした時代状況の中で、星野文昭さんを奪い返す闘いをどう作っていくのか。

 「政権交代」が、50年にわたる自民党支配に対する労働者、農民、漁民、市民の、そして「部落民」をはじめとする被差別民衆の怒りの決起によって勝ち取られたことは明らか。

 1971年11月14日、星野文昭さんをはじめとした労働者、民衆は、「基地付沖縄返還」のペテンに怒り、決起した。今、私たちが、この「政権交代」の時代の中で求められているのは、自らが自民党を打倒したその力を確信し、1971年のあのうねりを超えて、労働者とともに、沖縄民衆とともに、岩国や三里塚の人々とともに、壮大な統一戦線を生みだし、この国を変えることであろう。そのうねりの中で、獄壁を破り、星野さんを取り戻すことができると確信する。 

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今月のカレンダー

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 絵は、昨年11月14日、星野文昭さんの作品「ビオーレ、巨峰、秋の味」です。

 9月19日(土)午後2時~3時、JR元町駅前で、星野文昭さんの第2次再審、即時釈放を求める署名活動を行います。

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今月のカレンダー

Photo  ようやく神戸でも今日梅雨が明けて、真夏になったようです。みなさんに、暑中お見舞い申し上げます。

 昨年7月14日に最高裁第3小法廷によって星野文昭さんからの再審を求める特別抗告が棄却決定されてから1年を経ました。

 しかし、その最高裁決定自体が、最大の「証言」とされてきた「狐色の服」を星野さんが着ていなかったことを認めざるを得ませんでした。このことを認めながら、再審を認めず、棄却決定を行う最高裁による国家意思、国策裁判の強行に激し怒りを改めて覚えるとともに、再審実現と星野さんの一日も早い釈放を勝ち取るために、私たちも頑張っていきたいと思っております。

 ところで、7月20日頃には発行されていたと聞いております「星野再審ニュース第146号」(星野全国総会報告号)が、今だに私たち「兵庫・星野文昭さんを救う会」の手許には届いておりません。また、私たちからの問い合わせにも全国事務局から、一言の応答もありません。どうしたのでしょうか。少なくとも、星野全国総会でこのような事態を示唆する論議も行われてはおりません。全国事務局が、独断で、私たち「兵庫・救う会」への送付を取りやめたとしか考えられないのですが、そうなのでしょうか。

 私たちが理解する限り、私たち「兵庫・救う会」はもとより、全国の「星野救援会」は、それぞれの地域のいろいろな立場、想いの中から結成されました。それは「星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議」が指導したり、呼びかけて結成されたわけではありません。星野暁子さんが、一つ一つを、その地を訪ね作り上げてきたところが多いとも聞いております。「兵庫・救う会」もまた10年ほど前に、数人の方に暁子さんが語りかけられ結成される直前まで行っておりましたが、中心になられる方の転勤などの理由でいったん立ち消えとなり、当時関わられた永井満さん、加瀬都貴子さんを加えて、7人の世話人で、07年11月に結成されました。確かに全国再審連絡会の事務局からの結成への要請が何人かの人に、その1年前ほどからありましたが、指導ということではありませんでしたし、現在の世話人諸氏への具体的働きかけはありませんでした。それゆえ、私たちにも全国再審連絡会の下部組織と言った理解はなく、共闘団体だと受け止めてきました。

 こうした大衆運動としての結成の過程は、おおむね、他の多くの「星野救援会」でも同じであろうと考えます。その相互の連絡と全国的な盛り上がりを作り出す武器ともいうべき「星野再審ニュース」が、全国事務局の独断で送付を中止されるようなことがあってはならないと思います。しかも、一言の連絡もなく、一方的に。

 わたしたち「兵庫・救う会」を構成する賛同者の皆さんとのお約束は、「星野再審ニュース」と「兵庫・星野署名ニュース」を原則、毎月送付させていただき、状況の報告と署名活動や絵画展などへの参加をお願いすることで、年会費3千円をいただいております。「星野再審ニュース」が入手できないことは、この賛同者の皆さんへの約束違反ともなります。

 以上のような趣旨から、全国事務局への私たちの遺憾の表明とさせていただきます。こういう形を取らせていただきましたのは、先にも触れましたが、全国事務局からの一言の応答も今日までのところ無かったことによります。

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7月のカレンダー

Save0008  左は、7月のカレンダーより「暁子の退院を祝うバラ」です。

 先日の「ライブ&トーク」の話し合いでも話題になりましたが、私たちの運動の核心は、星野文昭さんの「冤罪」を一日も早く晴らすことを実現することと共に、文昭さんを一日も早く暁子さんと家族のもとに取り戻すことではないでしょうか。そのためには、多くの人々に訴え、いろいろな諸階層の支持を勝ち取っていくことではないでしょうか。

 幸い、6月20日の「ライブ&トーク」は、河野さん、加藤さんの想いのこもった語りと唄によって、星野救援運動を進めていく方向性が、強く形作られたように思います。

 まだまだ取り組みの緒についただけの兵庫の運動ですが、署名に、絵画展、そして学習会と、細々ながらも確実に歩を進めてきたと自負しています。星野文昭さんに、そして彼の救援運動に想いを寄せて下さる各地の皆さんとともに、一歩一歩を大事に進めていきたいと思っております。

 さて、今月は、7月18日に、神戸のJR元町駅前での街頭署名と宣伝活動を行います。暑い盛りですので、午後4時から5時まで行います。時間のある方はぜひお手伝いください。 

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星野さんに自由を~ライブ&トーク in ひょうご

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 6月20日神戸市で行われた河野さん、加藤さんのライブ&トークに参加しました。加藤さんの素敵な歌とギター演奏、そして語りでした。最近はあまりソロで歌われないというつれ09620_3 あいの河野さんの歌声も、会場からのリクエストで聴かせて頂きました。透明感のある美しい歌でした。
 トークでは、河野さんが暁子さんの古くからのご友人であり、お二人は文昭さん、暁子さ
んの家族のような気持ちで、星野救援に関わって来られた話をしてくださいました。文昭さんは、青年の時そのままの純粋な正義感を獄中34年経つ今も、保ち続けている人であり、友人面会で会う人にその人に合った話題を出してくる心配りのできる、優しい人であるというお話を聞きました。また、星野さんと獄中で一緒に過ごされた方々が、出獄後、「みるく~ゆ」09620_4 (河野さんのお店)を訪ねて下さり、獄中の星野さんの様子を伝えて下さった等のエピソードも。
 加藤さんのお話で、聞く人の心に響きその人の心を動かす事ができなければ、賛同は得られないと言われた事に強く共感しました。星野さんの事を広めていくためには、いかに聞く人に感動をもたらすか、それは運動する者がいかに真摯に星野さんの事を伝えられるか、私自身が問われているのだと思いました。また、河野さんから、吉野川稼動ぜきの反対運動に関わられていた時、反対に向けての人々の高まりを肌で感じられた話も伺いました。星野運動にもそのような高まりを兵庫県内に作って行くことが、私たち兵庫の会の責務ではないかと思いました。09620_5
 簡単な質疑応答もあり、いつも面会の時に送迎を担当される人の大変さ重要さにも触れられ、星野運動には、いろいろな思いや担い方があり、それらがすべて大切なものであると感じました。  (大野さん)

          

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今月のカレンダー (6月)

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 絵は、今月のカレンダーから、「桃と竹の子、初夏の味」(08・5・15)です。

 今月の街頭署名

【と き】 6月13日(土)午後2時~3時

【ところ】 姫路駅前・山陽百貨店店前歩道

 星野さんを自由に~ライブ&トーク in ひょうご

【演奏とお話し】 加藤明夫さん(ギターリスト、写真は昨年の11・14ライブ

         河野和代さん    Photo

【とき】 6月20日(土)午後2時~4時

【会場】 神戸学生青年センター・スタジオ(阪急六甲駅北東に徒歩3分)

【参加費】 1000円Photo_2

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街頭署名活動 JR元町駅前

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 小雨が降るJR元町駅前で、星野文昭さんの無実、第2次再審を求める署名活動を行いました。ちょうど始めるころ、「神戸で初の国内発生」という神戸新聞の新型インフレの号外配布とぶつかり、わずか3人では、圧倒される。

 おまけに南米の人の路上演奏とぶつかり、マイクも遠慮。途中から4人になり、23日、24日の西宮絵画展のビラまきも始められ、署名も少なかったですが12筆。最後にはマイクも使って、星野さんの無実と、再審開始を訴えるとともに、辺野古新基地建設を許さない取り組みや、新グアム協定への批判などを訴えることができました。

 みなさん。5月23日、24日の西宮大学交流センター(阪急西宮駅、ACTA東館6階)での星野文昭絵画展にお越しください。

 最初の絵は、文昭さんの2004年の作品「ラベンダーの季節を迎えた北の大地」です。

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三里塚の星の樹

09422  今回、3つの裁判があって三里塚に3日間行きましたが、その折、市東さんの所に泊めていただいて、裁判で農地法で取り上げが策動されている天神峰の畑にある「星の樹」を見てびっくり。左の写真で、青々と新緑の映える中央の樹です。

 何をびっくりしたって? わずか3週間前の3月29日、この木は坊主だったのです。その時のブログをご覧頂いている方はすぐ解ると思うのですが、風と排気ガスのせいか、少ない花をつけていただけでした(右下写真)。わずか3週間で、こんなにも葉っぱをつけ、緑々するので09329 すね。樹の生命力と言ってしまえばそれまでですが、この感動を星野救援運動の中にも生かしたいと率直に思いました。

 この木のそばの監視台に上がると、航空機の安全性を無視した運航を象徴する「ヘ」の字の誘導路が目の前にできます(左写真)。しかも、先日のウインドシアによる事故を何の反省もなく、この滑走路を北に延長してこの10月にも供用開始を強行して、こういう場合に備えるんだ09423 と空港会社は言うが、それは恐ろしい安全性の無視による新たな悲惨な事故を招くだけだろう。絶対に許せない。市東さんの農地を守り、こうした不当な攻撃を許してはならない。それが、星野さんのあり方につながるし、星野さんを救う道だと改めて思った。

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今月のカレンダー

Save0009  今月のカレンダーは、「白樺林の向こうに広がる札幌郊外」です。文昭さんの故郷の思い出をもとにした昨年9月の作品です。

 今月の街頭宣伝&署名活動は、姫路の山陽百貨店前で、4月18日(土)午後2時~3時です。お時間のある方はお手伝いください。

 また、4月1日の会場抽選で、絵画展を5月23日(土)~24日(日)に西宮で、10月23日(金)~25日(日)に加古川でいずれも開催することが決まりました。時間、会場など詳しいことは、それぞれ、もう少し近づいてからお知らせいたします。

 加えて、できれば6月くらいに次の学習会ができればと考えておりますが、講師と会場の都合もあり、まだ決まっておりませんが、楽しみにお待ちください。

 3月29日、三里塚現地での全国集会に参加してきましたが、市東孝雄さんのお宅の畑(天神峰)にあるコブシの木「星の木」が花をつけていました。09329 背は高くなったのですが、その分、航空機の排気ガスの影響をうけるのか、お隣のモクレンに比べ、花の着き具合が少ないようです。暫定滑走路の閉鎖を何としても実現し、市東さんの農地を守り切る闘いの中で、この木の花の満開と星野文昭さんの奪還を勝ち取らねばと想いを新たにしました。09329

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3・20現地調査

Save0005  3月20日、現地調査に参加しました。雨降る中、30名ほどが小田急代々木八幡駅に集まりました。事務局Kさんの説明を聞きながら、37年前に星野さんがデモ隊を率いた道を歩きました。

 代々木八幡駅から井の頭通りに交差するまでの道は歩道がなく対面通行です。井の頭通りを越えると、そこから東急本店まで狭い一方通行の道になります。周りの建物は新しくなっていますが、道路の構造は当時のままだそうです。この道は井の頭通りから渋谷駅への抜け道になっていて、タクシーなど交通量の多い道です。この狭い道に200人(確定判決では過小評価して150人)近いデモ隊がいたとはかなり雑然としていただろうし、神山派出所前で阻止線をはっていた機動隊小隊も慌てて逃げたのがわかる気がしました。

 都民交通(現在ホテル)前では、O証人が70メートル先の殴打現場の人の顔を識別したと言うけれど、実際に私も視力1.5出る眼鏡で見てみましたが、よくわかりませんでした。O証人は裸眼0.2で、当日眼鏡もかけていなかったので、識別できるはずがありません。嘘の供述であることは明白です。

 殴打現場となった梅澤米店は今も当時のままの建物です。今も営業されているそうですが、日曜は休業日で、当時のままのシャッターが下りていました。

 事件現場に近い交差点は今通行人用の押しボタンの信号機があります。ボタンを押して車を止め、星野さんが立っていたマンホールに私も立ってみました。少し上り坂になった所にNHK放送センターがよく見えます。そこには機動隊の大隊が居り、逃げ込んだ機動隊員の要請を受け、デモ隊に向かってくるのを星野さんは警戒していました。星野さんが交差点の真ん中にいた事は機動隊の大隊の隊員も見ているはずです。

 梅澤米店脇に2000年11月15日に建立された死亡した機動隊員の慰霊碑があります。警視庁幹部らが、暴徒から渋谷を守ったとして感銘して、同僚からカンパを集めて作ったものだそうです。碑には「星一つ 落ちて都の 寒椿」の句が刻まれています。この慰霊碑のニュースに対し、星野暁子さんは「星ふたつ 耐えてあけぼの 寒椿」という句を作られています。冤罪は更なる苦しみを本人だけでなく、その家族にも与えています。そして碑には絶えず花が供えられているそうです。若い青年が死亡したという事実に胸が痛みますが、事件から29年も経ってから、英雄であるかのように扱われはじめたということに、どうしても納得いきません。

 面会した人たちの話しを聞くと、星野さんは、明るく元気いっぱいで、人が人らしく生きる社会の到来を確信しています。星野さんが革命家として存在しているとしても、囚われの身であることに変わりありません。何としても星野奪還しなければならないと思いを新たにしました。 (大野)

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3月のカレンダー

3   絵は、「春を迎えた山里」(08.4.28)

 先日の学習会の後、「兵庫・星野文昭さんを救う会」の世話人会が開かれ、今後についての相談をしました。

 学習会(第3回)は、今度はちょっとリラックスをしようと、音楽などを聞く交流の一時が持てないだろうかということになり、演者などと交渉をしてみようということになりました。乞うご期待。

 街頭署名活動については、① 3月7日(土)午後2時~3時 JR元町駅前 ② 4月18日(土)午後2時~3時 姫路駅・山陽百貨店前で、それぞれ行うことが決まりました。第2次再審署名は、昨年8月以降で522筆になっています。

 絵画展は、5月末に西宮で、10月末に加古川で行うことを目標に会場の確保に努めることを確認しました。いずれも、4月1日が会場の抽せん日で、それを待って決めます。

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2月のカレンダー

Imgp1123  厳しい寒さが続いております。徳島刑務所の中で、星野文昭さんが大変だろうななどと思いながら・・。

 今月は、2月21日に姫路の山陽百貨店前で、街頭宣伝と署名活動をします。(時間は午後2時~3時)。お手伝いいただける方はお出で下さい。

 また、3月1日には、神戸市勤労会館(三宮)、404号室で、午後2時から「救う会」世話人の木下達雄さん(浄土宗大林寺住職)を講師にお招きし、日頃取り組んでおられる死刑廃止運動の関わりの中から、「人は他人を裁けるのか ― 死刑制度から司法のありかたを考える」と題した講演をしていただき学習したいと考えております。(参加費 300円)Photo_2

 絵は2月のカレンダーの絵「春を呼びよせるシクラメン」です。スキャナーが故障し、カメラで撮ったものを掲載したものですから若干色合いが悪いのはご勘弁ください。

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1月のカレンダー

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 「兵庫・星野文昭さんを救う会」を結成して1年、2度目の新年を迎えました。この1年、神戸、姫路での2度の絵画展、甲山事件の元被告山田悦子さんをお迎えしての学習会。そして十数回の神戸、姫路での街頭署名で1000筆を超える署名(第2次再審署名は500筆を超えました)。

 姫路の絵画展に来られた90歳の渡部冨美男さんからは、「米沢の秋-近い未来を想う」のコピーが上半分、下に星野さんの闘いを紹介し「描きためた絵は、その厳しい現実とは似合わないくらいに優しい表情をしていました」とまとめた年賀状を送ってくださいました。本当に勇気づけられました。ありがとうございます。

 救援運動にはいろいろな問題が横たわり、しかも、司法制度の改悪の流れを汲んだ徳島刑務所の面会者の選別など反動の流れがあります。今こそ、私たちには地道な地域での星野救援の訴えを基礎にした全国的なうねりのような盛り上がりが必要になっていると思います。1月24日、JR元町駅前(午後2時より)を皮きりに、今年の署名活動を。そして3月1日には、浄土宗大林寺の住職・木下達雄さんによる「人は他人を裁けるのか-死刑制度から司法のあり方を考える」学習会を開催します。そして、4月には西宮で、秋には加古川で絵画展を開こうと話し合っています。

 みなさん。まだまだよちよち歩きの「兵庫・星野文昭さんを救う会」ですが、今年もよろしくお願いいたします。

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星野文昭絵画展(姫路)への感想

Photo  絵は「クリスマスが近づく季節(2002年)」です。

 星野文昭絵画展(姫路 11月11日~17日)のアンケートに答えていただいた方々の感想をご紹介します。

○ とっても心がほのぼのと致します。米沢の風景はいいですね。

○ とても美しい絵です。

○ 明るくやさしい絵で、色使いも柔らかく、見た者の心がほのぼの暖まる思いがします。

○ 獄中という制限された中でありながら、すばらしい作品に仕上がっていると思いました。特に、色彩がすてきでした。星野さんがどんな思いで描かれたのか、心中(しんちゅう)を思うとき、一日も早く自由をと願わずにはおれません。

○ 「南イタリア~」と静物画と「大雪山」が良いと思いました。淡い日本人好みの絵で、喫茶店とか店舗向けに、受けがよさそうと思います。

○ やさしい色使いの静かな心情の出た作品。

○ 同じ筆を触るものとして、悟りにも似た力みのない彼の息使いが感じ取られたように思います。それがやさしい雰囲気を作っているのでしょう。おそらく、長い永い時間、彼は自問自答を繰り返されたことでしょう。はるかに永い時間の中で、彼のもつ線が出来たのだと思います。暁子さんへのやさしい想いが、きっとあの色使いとやさしい筆のタッチを彼にさせるのでしょうね。

○ 優しい印象を受けるが、強い意志も感じられるようで・・・。081115

○ おだやかで 素晴らしい。

○ やさしさ、明るい透明な感じがします。このようなくもりのない絵を描く人が、犯罪をおかされるとは思いません。

○ 星野さんが「色」によって、自らの命を守っている、「色」によって星野さんは守られているという感じがした。とても苦しい弾圧の中、いのちの感覚を持ち続けられることで、闘い続けられているのか・・・。 FumiAKIKOというサインが かわいい! せつないです。

○ 「自由」という事のすばらしさを再認識すると共に、何か自分にもできるのではというあせりが出ます。 やさしい絵に感動しました。ありがとうございました。

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獄壁を越えて  ライブ 11・14

081114  昨夜は、姫路の絵画展を休ませてもらって、徳島の「アンカー&ベイ」で「徳島星野文昭さんを救う会」の加藤、河野さんのお二人が開かれた「LIVE 11.14 ~獄壁を越えて~」に、関西からの仲間4人と一緒に参加させていただいた。出演は、加藤さんを中心にしたベースメント・ルリの4人のみなさん。始まる頃には、座る場所もないくらいにいっぱいに。

 1971年11月14日の渋谷闘争と星野文昭さんの獄中での闘いを想いながらのこのコンサートは14年続けられてきているという。加藤さんの「同窓会のように、ゆるくゆるくや081114_2 りましょう」という言葉に象徴される、加藤さんの朴訥な語り(右写真)で進められる。

 48歳になられる加藤さんは、「運動というものには無縁でした」。「暁子さんの面会をお手伝いするうちに、運動としてでなく家族会のような気持でやってきた。その中で、いろいろなことを教わったし、考えることができた」と。そして、文昭さんのお母さんとの出会いの中で、「文昭を助けてやってください」と頭を下げられ、「まかして下さい」と言いながら、お母さんが生きておられるうちに「しゃば」でお二人をお会いさせることができなかったと、悔いと悔しさをにじませながら語っておられたのが印象的でした。

 そして、この日3人の方が面会に刑務所に赴いたにもかかわらず、遠く沖縄や京都から来られた方が、「事前に申し入れされていない」というこれまで言われたことのない理由で、面会が許されなかった事態を明らかにされた上で、「悪い方へ、悪い方081114_3 へ動いているように思う。こういう時こそ、だからこそ救援運動を盛り上げていきたい」と星野救援への想いを語られ、「来年こそ、このライブをここでしなくていいようにしたい」と最後に締めくくられた。

 「高い塀に囲まれながら、想いは今も11月のままさ」と歌い上げる加藤さんの想いをこめた『11・14』をはじめ、ボーカルの「ルリちゃん」(最初の写真左の方)などとともに、楽しい歌と語りのひと時を過ごさせて貰いました。

 終わっての交流会に参加しませんかという河野さんのお誘いや徳島の会の代表の戎野さんとのご挨拶に想いを残しながら、徳島を後にしました。

 私事ですが、赤ちゃんの時から可愛がっていた「ともちゃん」に数年ぶりで会うことができ、楽しく話ができたこともあり、「ゆるくゆるく」の気分におおいに浸らせていただきました。加藤さん、河野さん本当にありがとうございました。

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11月のカレンダー

0811  11月のカレンダーは「暁子の絵を飾った、誕生日のテーブル」です。

 今月には、先ず11日(火)から17日(月)まで、姫路のフリールーム・グランマーでの「星野文昭絵画展」が開かれます。5日(水)午前11時~12時に、姫路・山陽百貨店前で署名活動をしながらの訴えを行います。開催時間は、11日(火)午後3時~7時 / 12日~16日午前11時~午後7時 / 17日(月)午前11時~午後6時です。(入場料 無料) ぜひ、皆さんお誘い合わせのうえお出で下さい。

 11月14日(金)午後7時開場、午後7時半開演~午後9時半終了で、「11月14日」のライブが徳島市秋田町1丁目のバー「アンカー&ベイ」(今年で14回目)で開かれます。参加費は、1ドリンク付きで1500円。(河野和代さんからのご案内です)。兵庫の救う会でも、14日、姫路の絵画展に午後5時集合して車で現地に向かいます。まだ余裕がありますので、ご希望の方は、事務局へご連絡ください。

 11月29日(土)午後6時開場、午後6時半開会で、「星野文昭さんを自由に ―第2次再審勝利へ― 11・29全国集会」が、東京・四谷区民ホールで開催されます。参加しましょう。

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さあ、姫路での絵画展

Pim0133  昨日、11日から始まる「星野文昭絵画展」を取材してもらうために、地元の神戸新聞姫路支局と朝日、毎日、読売各紙の姫路支店、それに、ポスターを貼ってチラシを置いてもらうように兵庫県立大学の書写キャンパスと新在家キャンパスの大学生協さんを、大野世話人とともに訪問しました。

 すでに配布されたチラシは3千枚を超え、ポスターも130枚を超えました。

 しかし、これまで街頭署名活動を数度しただけで、まったく地盤のない姫路でどうだろうかという不安はありますが、すでに市川の自然を守る運動をしておられるFさんなど、支援してくださる方もこの過程で生まれています。

 この日も、Fさんのお宅を伺い、昼食をとりながらキューバの有機農業のDVDを見せていただきながら、交流させていただいた。

 11月5日(水)には、姫路駅・山陽百貨店前で、最後の訴えとビラまきをします(時間は、午前11時~12時)。

 11日(火)正午から準備をはじめ、午後3時開会。12日から16日までは午前11時から開場。いずれも終了は、19時。最終日の17日だけ、開場11時、終了は、18時の予定です。ぜひみなさん、一人でも誘ってお出で下さい。

 上の絵は、詩画集の2002年からで「冬の窓のシクラメン」です。以下の詩が添えられています。

ひっそりと息づく 冬のシクラメンに / 「おはよう」と声をかける朝 / ひんやりした 部屋のテーブルに / カバンを置き / 「ただいま」とつぶやく夜 / そんな時 あなたのことを 思います

「起床! 点呼! 行進!」 / かじかむ手に 息を吹きかける間もなく / 昨日と同じ今日が 確実に過ぎていく / 「行進! 点呼! 就寝!」

窓辺に身を寄せ 水のシャワーに / 全身で喜ぶ 花々は / 知らぬ間の ため息も / 楽々と 吸いとってくれるようで / そんな時 あなたのことを思います

色のない 寒々とした 居房 / 絵筆を持つ あなたは / すべてを愛に変えられる / 魔術師のようで 

ほんのり色づいた シクラメンが / 今 私の前で 微笑んでいます

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10月のカレンダー

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 今日、「兵庫・星野文昭さんを救う会」の世話人会が開かれ、11月11日~17日に予定されている「星野文昭絵画展」の準備の打ち合わせを行いました。出来あがったポスターやチラシの配布の計画、マスコミへの宣伝など、そして姫路での街頭署名活動を会場近くの山陽百貨店前で、10月11日(土)午後2時~3時、11月5日(水)午前11時~12時の二度にわたって行うことなどを決めました。 さらに絵画展の後、12月7日、学習会を行うことも。みなさん、姫路の絵画展、街頭署名をお手伝いください。

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第2次再審へ署名を集めよう

Pim0123_2 一日一日が単調に過ぎてゆく / ある日出会った 花たち / 母のようなにおいの コスモスは / しあわせを / 赤いバラは 尽きない情熱を / 白いゆりは 清楚な愛を / 菊はいつもそこにある安らぎを / 生きていることの 感謝を / 呼びさましてくれる 花たち /果てしなく灰色の 一日を / 美しい花々で つぶして / そうだ! / 僕には 失いたくないものがある

(絵は2001年より)

星野文昭さんの無実を立証し、この政治的国家犯罪(冤罪)を白日の下の明らかにするために、第二次再審を実現しよう!

Pim0124

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9月のカレンダー

Photo  ほのかな光

 暗闇を裂いた 光が

 ほのかに

 一つ 私の中で 花咲いて

 あなたの体と ひとつに

 とけあった

 9月のカレンダーの文昭さんの絵です。添えられた詩は、もちろん暁子さんのものです。絵を見、詩をかみしめながら、星野文昭さんの再審無実をかちとるために、第二次再審署名活動を頑張らねばと、気持が高まってきます。

 「兵庫・星野文昭さんを救う会」では、9月は、神戸のJR元町駅前で、9月14日(日)午後3時~4時。 姫路駅前の山陽百貨店前の歩道で、9月27日(土)午後2時~3時に第2次再審署名活動を行います。

 お手伝いくださるのは大歓迎ですが、前回、妨害のために動いている人たちがいたことPhoto_2 が確認されています。断じて許せません。近くの方は、ぜひ、お手伝いください。

 今月のカレンダーには、星野さんの絵には珍しい「野原の向こうを見る犬」(右の絵)という挿絵のような絵が掲載されていました。新鮮でいいですね。

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絵画展へのYさんの感想

Photo  「憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネットワーク」の機関紙11号に、先日の絵画展の冒頭お出で下さり、美術の先生としてお手伝いくださった同会のYさんが、一文を投稿してくださったので、そのまま転載させていただきます。

無実・解放のための絵画展

 世に理不尽な事が余りに多いが、冤罪ほど理不尽なものはない。

 星野文昭さんの名前は、元教ネットの運営委員会(各人がかかわっている活動の紹介、交流の場でもある)で手渡された1枚のビラから知った。7月24日、25日の2日間、神戸市勤労会館の一室で開催された「星野文昭絵画展」へ足を運んだ。

 星野さん(1946年生まれ、62歳)は、1971年、25歳のとき、東京・渋谷における「沖縄に基地の犠牲を強制し続ける『返還協定』批准反対」の大規模なデモに参加した。そのときに1名の機動隊員が死亡した。その「実行犯」としてデッチ上げられ無期懲役とされ、実に獄中33年という過酷な囚われの歳月を強いられている。

21世紀に入り、徳島刑務所の中で、粘り強いたたかいの末に「絵筆を手に」し、絵画クラブに所属し描き続けている水彩画は、明るい陽光をたたえた清らかな作品である。

 獄中結婚されたパ-トナ-の星野暁子さんとの『詩画集』は、お二人のたたかいの源流であり、房外の私たちへの限りないメッセ-ジである。暁子さんは、その「まえがき」で次のように書いている。「私の部屋には、文昭の絵が3枚飾ってある。何もかも公開しなければならない苦痛さを和らげるために、これらの絵は手放さずに持っていようと思う。文昭も1枚は持っている絵があると言っていた。けれど、絵と詩は不思議なものだ。公開して第三者との対話が様々なところで聞こえてくることで、文昭にも私にも、豊かな思いが返ってくる」。

 『星野再審ニュ-ス135号』(2008年7月15日発行)で、京都での絵画展のアンケ-ト(感想文)が紹介されている。「よくそんな御生活の中で、こんな絵を描かれると驚嘆しております。美しいと思います。が、素人の弁ですが、何か焦点がほしい気がします」と。作品について私も同じものを感じたが、何よりもこの感想を書いた女性と、それを取り上げたニュ-ス編集者の星野さんへの「対等感」に共感した。いちばん表現したい焦点は、お二人の手元に残された四作の中にあると、私は思っている。そして「まえがき」と「感想」は、表現のもつ力とあり様(よう)と、受け手の質を問うている。

 2008年7月14日、最高裁は、特別抗告していた「再審請求」を却下した。そんな事が許されるはずはない、と画中の「夏野菜たち」は訴え続けている。私たちが理不尽な権力の仕業に対抗するには、世論の結集しかない。

 「冤罪」といえば、50年くらい昔、私が高校生だった頃、兄が「八海事件」にかかわり、阿藤周平氏が18年のたたかいを経て無罪をかちとる1968年まで、家族中で動き回った事や、私の勤務先だった美術室に「帝銀事件」の平沢貞通氏(画家)の絵画展のポスタ-を展示していたのを、昨日の事のように思い出す。延々と繰り返される冤罪事件だが、いまの私には事実を知る、知った事を伝える、出来る事をするしかない。

 星野文昭さんの無罪・解放のため、第2次再審請求の署名をお寄せください。

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辺野古

家族と沖縄、辺野古に行ってきました。

8月8日と10日に辺野古に2時間づつ滞在し、座り込みをしておられる人からいろいろ聞きました。9日には高江に行きました。N-1ゲートに行き、次に座り込み受付のあるN-4ゲートに行きました。N-1ゲートのテントに1年半も泊り込んでいるおじさんと話しました。ヘリポート予定地までの道路整備を阻止しているとかで、砂利を積んだトラックを追い返したそうです。その後、N-4で座り込みをしている住民の方と見学にきたどこかの団体の勉強会に交じって話しを聞きました。

辺野古の反対協のテント080808_007                                         

080808_011

高江N-1ヘリパット用地への道080809_025         

高江N-1ゲート前テント080809_019

N-4ゲート内ヘリパット用地080809_035 

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8月のカレンダー

僕のヒロシマ

Photoお母ちゃん / ごめん / 僕は 行くよ

瓦礫の中に 沈む お母ちゃん / 目を閉じて / 「行きなさい」と 僕に言った

まだ 息を していたんだ / 僕を いつも 抱きしめてくれた / 暖かい ぬくもりを そのままに

お母ちゃん / あの日 僕は 僕は / お母ちゃんを / 瓦礫の中に 残したまま / 歩き出した

街は 死の灰に まみれ / 黒こげになって 倒れている人 / それでも 僕は 歩いた

   「水を ください」 / 「水を・・・」

涙も 乾いて / 僕は 死の街を 歩いた

あの日 / 8月のあの日

なぜだろう / なぜだろう / 僕だけが 生きている

僕の体を 射抜いた / 放射能も 生きている

僕の病んだ体の中に / お母ちゃんの声が 今も 聞こえるんだ

   「行きなさい  行きなさい  あつし  早く  早く・・・」

僕は 歩く / 僕は 生きる

僕は 歩く / 僕は 生きる

六十年後の ヒロシマを / 僕は 歩く / 僕は 生きる

本当に暑い日が続いております。暑い中ですが、「兵庫・星野文明さんを救う会」では、以下の要領で、今月の街頭での署名活動を行いますので、お集まりください。

【とき】 8月24日(日)午後4時~5時 / 【ところ】 JR元町駅前東南歩道で

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最高裁の棄却決定を弾劾する

Photo  7月14日、最高裁第3小法廷は、星野文昭さんから出されていた再審を求める特別抗告の申し立てを事実審理を行うことなく棄却しました。本当に怒りなしには語れません。

 弁護団と「星野・全国再審連絡会義事務局」はただちに15日、怒りと抗議の記者会見を行い、第2次再審請求を行うことを明らかにされました。

 詳しい事は、今後、順次弁護団と「全国事務局」から明らかにされると思います。その上で、裁判所の決定主文を見て、あらためてその出鱈目さに怒りに身が震えました。

 主文は、「きつね色の服を着た男」というK証人の供述について、星野文昭さんが当日着ていた服と全く違うことを事実として認めざるを得ないことを「K供述にはあやまりがあったと認められる」と弱々しく認めながら、何とK証人が、星野文昭さんと一緒にいたから、その声を何度も聞いていたのだから其の供述は「信用することができる」として、棄却の最も大きな理由としているのです。「星野は犯人だ」という予断と偏見なしには出しえないこんな論理がどうして許されようか。どうして、これだけの供述に大きなギャップがあることを認定しながら事実審理の法廷を開こうともしなかったのか。本当に許せません。星野文昭さんは、私たちに向かって直ちに「一番大切なのは、くさらない事です」と呼びかけておられます(下に掲載した星野文昭さんからのアピールより)。もう一度腹をくくり直し、再審実現に向け、星野文昭さんの奪還を勝ち取るまで頑張りましょう。

星野文昭さんの獄中からのアピール

まったく、事実・真実を見ない不当な判決です。許せません。

真実は、われわれの側にあります。われわれが目指すものの大きさを権力がPhoto 圧殺しようとするのは無理です。われわれの目指すものの「大きさ」と「正しさ」、その二つで再審実現を目指してたたかいます。

勝てる力が、我々にはあります。1回、2回で通るような再審ではないと思います。

一番大切なのは、くさらない事です。

われわれの正しさに確信を持ち、力を数倍、数十倍にして第2次再審で勝利しましょう。

   徳島刑務所在監  星野文昭     08年7月16日

 

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7月のカレンダー

Photo    (7月のカレンダーより 「初夏を迎えた米沢ー2007年」)

 星野文昭さんは、花や野菜、果物などの静物画とともに風景画もたくさん描かれています。風景画は実際に星野さんが見られて描かれた絵というわけではなく、星野さんの記憶や写真、人から聞いた話しをもとに想像して描かれた絵です。その風景画は、三つの地方が絵のテーマになっています。

 一つは北海道。星野文昭さんが生まれ育った地方です。ご両親やご兄弟とともに過ごし、肌身に感じとっておられた景色を記憶の中から手繰り寄せて描かれています。

 二つめは、沖縄の風景です。沖縄は琉球王国として、豊かな文化と武器のない、争いのない国として繁栄していました。その沖縄(ウチナー)が、薩摩藩、明治政府とヤマトのもとで、搾取され、差別され、甚だしい戦禍を被り、今もなお「基地の島」として苦難を押し付けられています。星野文昭さんには、この歴史に苦しむ沖縄を、解放したいという強い想いがあります。

 三つめが今月の絵の題材となった山形県米沢です。米沢は最愛の妻、暁子さんの出身地です。この絵には星野文昭さんが訪れたことのない暁子さんの生家のそばで、子供時代の文昭さんと暁子さんが遊ぶ姿が描かれています。この絵にただよう穏やかな優しさは、文昭さんの願いでもあり、未来の文昭さんの心象を顕したものでもあると思えるのです。そして、それが実現できるように、私たちは星野文昭さんを取り戻す運動をさらに進めなければならないと思うのです。

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6月のカレンダー

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 上の絵は、6月のカレンダーに掲載の、昨年6月23日に、星野文昭さんが描かれた「沖縄・アカバナーと少女」と題する絵です。

 先日開かれた「6・15星野文昭さんを救う会」で、「兵庫・星野文昭さんを救う会」の新たな世話人が3人加わり、7人の世話人で会の運営を行っていくことがきまりました。昨年、11月17日の会結成以来7カ月でようやく、基本的な体制が出来上がりました。これまでを助走期間として、星野さんの釈放、再審・無実を勝ち取るために、全国の仲間と一緒に頑張っていきましょう。

 世話人は(順不同)、大野恭子(主婦)、加瀬都貴子(神戸市民救援会議代表)、木下達雄(浄土宗大林寺住職)、玉光順正(真宗大谷派僧侶)、佃真人(日本キリスト教団宝塚教会牧師)、永井満(牧師・淡路町空港反対同盟代表)、松原康彦(新空港反対東灘区住民の会事務局長)、です。

 当面の活動として

① 街頭署名活動 時・7月20日(日)午後4時半~5時半 /Photo_2  場所・JR元町駅前東南歩道

② 「星野文昭絵画展」 時・7月24日(木)午後1時~5時、7月25日(金)午前11時~午後7時 / 場所・神戸市勤労会館 307号室 (右図参照)

  

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ある冤罪

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 私の小学校低学年の頃の実体験です。あれは、今から40年ほど前のことでした。

 夕方二人の警察官がうちの家にやってきました。はじめ母が対応したら、すぐに父にも来るよう言われました。そして、家にある自動車を見せるように言うのです。警察官のことばに従って、父母は車庫へ二人を連れて行きました。子供の私も無邪気についていきました。一人の警察官は車から少し離れたところで、父母と向き合って立っていました。もう一人の警察官は大きな懐中電灯で車を照らしながら、しゃがみこんんで、へばりつくように、舐めるように車を見ています。私はその警察官のすぐそばで、じっとその仕草を見ていましたが、私にあっちに行けとも言わずに、ただひたすら彼は車を見ていました。

 突然母の大きな声がしました。「何があったんですか? 何しているのですか? 教えてください」。警察官は憎々しげに 「自分の胸に聞いてみろ」と大きい声で言い返しました。「自分の胸に聞いてみろとはどういうことですか? 何聞くんですか?」 もうほとんど、母は叫んでいました。

 それからしばらくして、沈黙を破るかのように、車にへばりついていた警察官が 「ありました。Sさん。やっぱりありました」と大きな声で言いました。「やっぱり、あったんだな」 Sと呼ばれた警察官が駆け寄りました。そして、そのSは、ますます尊大な態度になって、「えぇー、このキズはどうやってつけた。えぇー、答えられないのか」と言いながら、2センチほどのひっかきキズを指し示しています。そのキズはいつぞや、私がすねて針金でつけたキズかもしれません。

 ずっと偉そうな態度のSは勝ち誇ったかのように言いました。「K田H夫、お前を・・」。すかさず、父が言いました。「私はK田N一です。K田H夫さんは4軒先の家です」。

 すると、Sともう一人の警察官は 「行こか」とだけ言って、そのまま知らん顔して、うちの家から去って行きました。そのうち判ったことは、近くの交差点でひき逃げ事故があり、被害者は骨折などの大けがを負っていました。目撃者も多くて、皆がH夫さんが運転していたと証言していました。H夫さんの車は前方のライトが破損してなくなり、ボンネットが大きくへこみ、タイヤには血がべっとりと着いていたそうです。

 二人の警察官があったと喜んでいた車の小さなキズは、父が犯人であるはずがない大きな証拠であるのに、警察官たちの思い込みは、歴然とある目の前の事実さえも見えなくさせているのでした。

 謝らないのが当然という警察官たちを、母はいつまでも 「自分の胸に聞いてみいと言われた」と怨みがましく言っていました。

 (最初の絵は、「FUMI AKIKO 詩画集」より。文昭さんの作品です。)

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千里の道

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 陸軍中野学校出身で九十歳になられる渡部冨美男さんは、ご自身の中国での戦争体験と捕虜時代のご自分を語ることを通して、戦争の残酷さ、愚かさを語りつたえ、反戦平和を訴え続けておられます。5月31日、その渡部さんを「囲む会」に、非常に短い時間でしたが、お邪魔してお話しをうかがうことができました。
 渡部さんは耳が遠くなられていて、通訳が必要なほどでしたが、理路整然とお話しをされ、何よりも強い反戦への思いに圧倒されそうでした。実際に兵士として戦争を体験した人の語る具体的なお話しからは、心の奥底まで沁みとおるように「戦争は嫌だ」という気持ちが伝わって来ます。過去の戦争をただ語られるのではなく、「現在も戦前と同じだ。イラクに行っているではないか」と語気を強め語られるご様子に、大きな感銘を受けました。
 私は、「反戦平和」というと星野文昭さんのことを思わずにはいられません。
 星野さんは小学生の時、原爆の被害者たちの写真を見て、戦争を絶対許してはならないという気持ちを持たれたそうです。大学生になって、星野さんの思いは三里塚軍事空港反対や沖縄返還協定反対闘争となって、具現化して行きます。そして、その闘争のさなかで冤罪をかけられました。
 星野さんを取り戻す運動は、反戦平和を求める運動でもあるのではないかと、私は思っています。星野さんが獄中33年間非転向を貫くのは、星野さんの沖縄や反戦への強い思いがあるからです。九十歳にしても今なお戦争の語り部として反戦平和を訴える渡部さんにも、星野さんにも、同じ強い思いがある事を感じました。
 「千里の道」は渡部さんが自費出版された戦争体験やお気持ちを描かれた本です。

 最初の絵は、文昭さんの作品 「実りのテラスから、北の大地を眺む」 です(「Fumi Akiko 詩画集」より)。

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星野さんは無実だ(3)

Photo_2 再審を実現するために

 星野文昭さんをとり戻すには、再審を実現することが必要です。裁判をやり直し、「殺人」に関して無罪を勝ち取るのです。
 白鳥決定(1975年)で、最高裁はふたつの重要な基準を示しました。
 その1は、「新旧証拠の総合的評価」です。それ以前の裁判では、それだけで無罪を証明するような新証拠がない限り再審は認められないとされてきました。これは、無実を訴える受刑者にとってあまりにも過酷です。これに対して、新証拠が元の裁判に出されていたとすればどうなるかを総合的に評価する、という新しい判例を示したのです。
 その2は、「疑わしきは被告人の利益に、の鉄則は再審にも適用される」ということです。被告人が有罪であることを立証するのは検察官の仕事です。その立証内容に疑問が生じた時、被告人は処罰されないのです。この近代裁判の鉄則が、再審事件においても適用されるとしたのです。
 この最高裁白鳥決定の後、「財田川」「免田」など4件の死刑事件で再審が認められ、一時は、再審の門が大きく開かれました。現在、名張事件や布川事件で再審開始が決定されましたが、一方、横浜事件や大崎事件で開始決定が出されたにもかかわらず、横浜事件では「免訴」という検察側主張に沿った決定が出され、戦前の治安維持法下の国家によるデッチあげが裁判によってもみ消されました。さらに、大崎事件では、最高裁がたったの6行で開始決定を棄却しました。この2つの再審では、再審開始決定が裁判所によって軽々しく扱われ、開始決定が再審の趣旨に反する判断がなされています。近代裁判の鉄則である「疑わしきは被告人の利益に」を再審にこそ適用すべきであるという原則を裁判所に守らせるために大きな社会的力が必要であると痛感します。

 04年1月19日、東京高裁第12刑事部は、星野文昭さんが申し立てていた異議を棄却する決定をしました。これは、2000年2月に提出した、再審請求棄却に対する異議を退けるものです。
 決定文を見ると、再審弁護団が提出した11の新証拠をひとつずつ個別に検討し、「これだけでは再審を開始できない」と順番に切り捨てています。これでは、先に見た最高裁白鳥決定以前への逆戻りです。
 しかも、星野さんの無実を示す服装の色に関して、「確定判決の前に提出されていたとしても影響を及ぼすことが極めて小さい証拠」としています。高裁自身は、星野さんの服装の色をどう認定するか、ひとことも述べていません。こんな卑劣なことがあるでしょうか。確定判決は、星野さんの服装を「きつね色の背広上下」とはっきり認定しているのです。ここが崩れたら、確定判決全体が崩れてしまうのです。だから、服装の色に関する新証拠は決定的な意味を持っているのです。

 星野さんを取り戻そう

 私たちの目標は、ただひとつです。言うまでもなく、星野文昭さんを私たちの手にとり戻すことです。
 これを実現するために、3つの闘いがあります。
 1つは、裁判闘争です。2つは、社会的運動です。3つは、釈放要求です。
 1.裁判は、今、最高裁に移っています。星野文昭さんと弁護人は、東京高裁が出した08410 不当な棄却決定を取り消し、再審開始を決定するように求めています。
 裁判の焦点は、事実調べの開始と証拠開示、このふたつです。弁護団が心血を注いで完成した申立書と補充書を判断するためには、事実調べが不可欠です。最高裁は事実調べを行え、と要求しています。
 検察官は、いまだに証拠を隠し持っていて、それを明らかにしようとしません。その中に、星野さんの無実を示すものが含まれているのは、間違いありません。最高裁が、検察庁に証拠開示を命令するよう求めています。
 2.これまでの再審裁判で、大きな社会的運動なしに勝利した例はありません。
 日本における再審は、長い間「開かずの扉」と言われてきました。それほど困難なのです。このような状況を打ち破り、再審を実現するためには、第3小法廷に私たちの声を届け、多くの人たちが関心を持っていることを示さなければなりません。
 そのために、新たな星野再審・無罪と釈放を求める署名を訴えています。ぜひ、ご協力をお願いします。

 最初の絵は 「心を豊かにするアネモネ」 と題する文昭さんの作品です。右下の写真はつれあいの暁子さんです。なお、本文は、「東京・なんぶ星野文昭さんを救う会」ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/pinchag_38310_yo よりの無断転載です。

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星野さんは無実だ(2)

Photo  春が芽吹く

まっすぐに肢体を広げて / ふうせんのような / チューリップ / 空に空に自由に / この日あなたは / 舞いのぼる / 花ビラがひらいたこの日

 (「Fumi Akio 詩画集」より)

 以下は東京・なんぶ星野文昭さんを救う会」ブログより転載 http://blogs.yahoo.co.jp/pinchag_38310_yo (無断転載です)

 星野文昭さんは、99年に提出した「意見書」のなかで、次のように言っています。
 「私は、やっていない。私は、一審以来、一貫して主張し、陳述書においても、既に明らかにしているように、中村巡査を殴打していないし、中村巡査への火炎ビン投てきの指示も一切していない。このことを、私は、私の良心に照らして、人間としての全存在にかけて、改めて、一点の曇りもなく言い切ることができる」
 たしかに星野さんは、デモ隊のリーダーでした。しかし、彼は機動隊員1名の死亡には、いっさい関与していません。星野さんは死亡現場から渋谷寄りに10数メートル離れた十字路に立って、別の機動隊の動きを見ていたのです。星野さんの使命は、デモ隊をひきいて渋谷の街に入り、ここで待ち受ける大衆と合流して闘うことでした。彼の頭にあったのは、このことだけです。
 検察官は、星野さんが中村巡査を自ら殴った上、火炎ビンの投てきを指示して、殺害したと主張しました。裁判所も、それを認めました。しかし、それは間違いです。そんな証拠は、どこにもありません。
 警察は当初、デモの主力であった「反戦青年委員会」の労働者に捜査を集中しました。しかし、これに失敗したため、72年になって方針を変えます。未成年を含む群馬県の学生が十数名いることに目を付け、ここから「犯人」をつくり出そうとしたのです。
 その結果、K、I、Ar、Ao、O、Sという6人の学生が、「星野さんが機動隊員を殴るのを見た」、「星野さんが火炎ビンを投げろと言った」という供述をしました。これが、星野さんを有罪とする唯一の「証拠」とされています。しかし、これらはすべて警察に強制されたウソの供述なのです。このうち5人が、公判廷で「私はウソの供述をしました」と真実を語りました。O証人は証言拒否をくり返しました。実際には、証拠が崩れているのに、星野さんは無期懲役とされたのです。
 今も星野文昭さんを無期懲役にしている確定判決は、K証人を、星野さんが中村巡査を殴打したとする事実認定の柱にし、これを、O証人とI証人で補強するという構造になっています。ところが、K証人には決定的な弱点があります。星野さんが殴っているのを直接見ていないのです。次に、その内容を詳しく紹介します。

 星野文昭さんは、「きつね色の背広」を着ていない

 K証人は、当時18歳、群馬工専の学生でした。重要なことは、彼は星野さんとは面識が無かった、ということです。そのK証人が、どうして「星野さんが殴っているのを見た」などと言えるのでしょうか。
 実は、K供述は、① きつね色の服装の人が中村巡査を殴っているのを見た、 ② そのような服装の人は星野さんしかいなかった、 ③ したがって、殴っていたのは星野さんだ、という独特の三段論法になっています。つまり、殴っているところを、直接見たわけではないのです。したがって、星野さんの服装が「きつね色の背広上下」でなければ、K供述は成り立たないし、確定判決の核心が崩れてしまうのです。
 ここで、「きつね色の背広上下」をイメージしてみて下さい。星野さんは、こんな派手な服を持っていないし、着るような性格でもありません。
 星野さん自身は、自分の服装を次のように述べています。
 「私の当日の服装は、上着は、ジーパンを洗って薄くなったような抑えた色合いの薄青色のブレザーで、ウエストの部分が細めになっているスポーティーな形のもの。ズボンは、色は薄いグレーで、形はストレートなもの。シャツは白のワイシャツで、ネクタイは青地の中央部に約10センチの幅の薄い黄色と薄いグレー横斜めの縞が入ったもの。そして、銀メッキのネクタイピンをしていた。靴はこげ茶か黒の短革靴で、黒ブチのメガネをかけていPhoto_2 た」(上告趣意書、84年2月29日)
 K証人以外の人は、次のように述べています。
【Ao証人】 この時の星野さんの恰好は、黒額眼鏡(つるが金属製)、薄水色ブレザー、グレーズボン、黒短靴でありました。
【Ar証人】 この時の星野さんの服装は、空色のブレザー、紺色のネクタイ、白っぽいズボン、黒っぽい革靴をはいていました。
 警察官の証言もあります。
 指導者は二十一、二才、やせ型、小柄な男でした。
 顔はやや面長色白で黒ブチメガネをかけ髪は七・三分位で分け油気はないようですがきちんと整っておりました。うす青色の背広上着白ワイシャツ濃いえんじ色のネクタイ長いネクタイピンをしていました。
 この他にも、星野さんの服装について供述している人が多数います。それらはすべて星野さんの証言と一致します。
 確定判決が事実認定の柱にしたK証人の供述は完全に崩れています。星野文昭さんは「きつね色の背広上下」など着ていないのです。

(右写真は、星野文昭さんが収監されている徳島刑務所の全景です。)

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星野さんは無実だ(1)

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 このブログで、星野文昭さんの救援活動をめぐる基本的な紹介をしなければと思って探していたら、「東京・なんぶ星野文昭さんを救う会」のブログで、非常によくまとめられた文章(昨年9月18日)を発見。全く無断で、その文章を3回ほどに分けて転載させていただきます。http://blogs.yahoo.co.jp/pinchag_38310_yo/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=28 これをクリックしていただくと全文がでてきます。

 これまでの裁判の経緯

 星野文昭さんは、1975年8月6日に逮捕され、「殺人」等5つの罪名で起訴されました。しかし、「殺人」という重罪なのに、物的証拠は何一つありません。あるのは、未成年を含むデモ参加者たちの「供述」だけです。
 第一審は東京地裁で審理が行われました。6人の供述に信用性があるかどうかが、最大の争点になりました。このうち5人が、公判で、警察に強要されてウソの供述をしたと証Photo 言しました。1人は、証言拒否をくり返し、何も語りませんでした。
 79年2月、検察官は死刑を求刑しました。半年間で12万人の署名を集める反撃が行われ、懸命の裁判闘争が展開されました。同年8月の一審判決は懲役20年でした。死刑を強行できなかったのです。しかし、裁判所は「殺人」に関する共謀と実行行為があったと認定しました。
 第二審の東京高裁は、83年7月、一審判決を破棄し、星野さんに無期懲役を言い渡しました。その根拠は、一審判決が認定した「未必的殺意」が、殴打行為の途中から「確定的殺意」に変わったというものです。
 一体、何がどう変わったのでしょうか。東京高裁は、初めは「死んでも構わない」と思って機動隊員を攻撃していたデモ隊の気持ちが、「殺してしまえ」と変わったと言うのです。無期懲役にした理由は、これだけです。しかし、そんな人間の心の変化を裏付ける証拠は、どこにもありません。裁判所が、解釈を替えただけです。
 87年7月、最高裁が上告を棄却して、これが確定判決になりました。この年の10月、星野さんは徳島刑務所に送られました。
 何としても無実の罪を晴らしたいという星野さんの訴えを受けて、91年に再審弁護団が結成されました。再審を開始するには、「新規かつ明白」な証拠がなければなりません。星野さんと弁護団は、苦心の末に新証拠を集め、96年4月17日に再審請求書を提出しました。
 2000年2月、東京高裁は、再審請求を棄却しました。ただちに異議を申し立て、弁護団は3回にわたった補充書を提出しました。
 2004年1月19日、補充書3を提出してから1月も経たないのに、東京高裁は異議申立を棄却しました。1月23日に特別抗告を申し立て、9月28日には理由書を提出しました。現在、最高裁に対して4回目の再審開始要請を行っています。また、全記録の謄写を要求し、勝ち取りました。

 「東京・なんぶ星野文昭さんを救う会」のみなさん。失礼をお詫びします。これからもよろしく。最初の絵は、今年のカレンダーの表紙に使われた文昭さんの絵 「暁子の絵を飾った、誕生日のテーブル」 です。

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雑感 甲山冤罪事件

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いミルクコーヒーとビスケット

しもやけに かじかむ

あなたの手を あたため

体を あたため

心を あたため

子どもの頃

そこにあった「平和」と

ミルクコーヒー

そして あの甘いビスケット

   (「Fumi Akiko 詩画集」より)

 雑感

「心をひらく会」主催者のお一人は、以前、甲山冤罪事件の被害者の女性から話を聞かれた事があるそうです。
 甲山事件は障害のある児童の施設「甲山学園」で起きた二人の園児の死亡に端を発した事件です。冤罪被害を受けた女性は三度も無罪を勝ち取りました。一審無罪判決が出ているのに、やり直し裁判での無罪判決後、控訴無罪、上告断念という一連の経過を見ると、警察・検察はなぜそこまで執拗に犯人に仕立てようとするのかと不思議に思います。そこにあるのは、亡くなった人への思いというよりは、事件の事実関係すら明らかにできない無能さを隠すためと、自分たちは決して間違わないという権力の奢りが見てとれる気がします。
 甲山事件のホームページには、甲山事件が無罪で幕を閉じた理由が次のように書かれています。「優秀な弁護団の熱意とともに、多くの人の支援活動があったことで、その支援の力が冤罪を押し止めた」

 この言葉を見ると、星野さんの冤罪を晴らすために、多くの人たちの支援を、幅広く求めて行きたいと元気が出る思いです。

       

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