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2009年12月

第二次再審を求める署名活動 12月19日

091219  昨日、12月19日、寒風吹きすさぶJR元町駅前で、星野文昭さんの無実を訴え、再審・即時釈放を求める署名活動を行いました。

 4人で1時間、署名は21筆でしたが、厳しい寒さの中としてはまずまずかなと・・・。

 署名の間、少ない人数でしたが、マイクを持ち、星野文昭さんの1971年11月14日の闘いを訴えました。そして、この間の鳩山民主党政権による普天間移設問題、辺野古新基地建設問題のジグザグを訴え、同政権が発足当初から「日米同盟強化」を柱としていることを批判しました。11月8日の2万1千人の県民集会(右写真)が示すように、沖縄県民の想いは「基地撤去」です。09118 星野文昭さんが、無実であるにもかかわらず、獄中35年の弾圧を受けながらも、獄中から沖縄の人々に連帯し「基地撤去」の叫びを上げ続けておられることを訴えました。この星野さんの闘いに学び、今こそ、ヤマト(本土)の私たちは、鳩山政権のジグザグを許さず、まず普天間基地の国外移設を、沖縄の人々とともに実現しようと訴えました。

 次回の署名活動は、1月23日(土)午後2時~3時、JR元町駅前で行います。

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「砂上の同盟」 米軍再編が明かすウソ

Photo  先日、社民党の服部良一さんの後援会で、沖縄タイムスの論説委員をしておられる屋良朝博さんの米軍再編についての講演があるというので聞きに行きました。

 スライドを交え、07年から08年、一年間休職してハワイ留学の中で取材してこられたことを柱にしたお話に、太平洋に展開するアメリカ軍の全体像などまったく無知に等しかった私にとっては、「目から鱗」の印象でした。

 かってよく「キーストーン(要め石)」と言われた沖縄に在日米軍の75%が駐留しているのは、なぜか。「戦略の拠点」と言われてきたことは・・・。そこに置かれていた本「砂上の同盟」(左写真)を思わず買い求め読みました。おもしろかったですよ。ごく一部をご紹介して、ぜひ、皆さんが読まれることをお勧めします。

「2004年11月、元太平洋海兵隊司令官のヘンリー・スタックボール中将(退役)に、インタビューした。(中略)私は『なぜ沖縄か』と質問した。スタックボール氏は率直に答えてくれた。『日本本土にアメリカ海兵隊を歓迎する県がありますか・・・、ありませんね。軍部の意志ではありません。すべては政治なんですよ』。」(同書 75ページ~76ページ)

 「海兵隊の最初の駐留地が岐阜(各務原)と山梨(北富士演習場)だったのは、朝鮮戦争で韓国に配備された米軍部隊をバックアップするためだ」(同書 84ページ)のだが、1956年沖縄にその第3師団1万61千人が移駐しました。09124 その理由は、1950年代初めに各地で起こった内灘闘争、浅間山の演習場反対闘争、妙義山接収計画反対闘争、砂川基地闘争、そして何より北富士演習阻止の忍草農民の闘いなどがあって追い出されたというのが事実ではないかと屋良さん(右写真)は指摘されています。

 「ハワイのヒッカム空軍基地のオペレーションプログラムオフィサー(作戦担当将校)から軍隊と地上基地の関係を教わった。」(中略)「もちろん、フィリッピンに基地を置けば第13航空団が作戦エリアとしている地域に近く、グアムを拠点とするよりもランニングコストは安い。しかし、フィリッピンを失ったからといって機能不全に陥るわけではなく、アジアにおける軍事バランスに変化が生じた形跡もない。せっかくなので、沖縄について質問してみた。『極東最大という形容詞が使われる空軍嘉手納基地が沖縄にありますが、そこの軍用機にしても空中給油機などを使えば、グアムへ移しても、十分に現在の任務を継続できるということですね』 答えは、やはり『イエス』だった。 『基地の配置がどうであれ、目的を達成できるよう部隊運用を組み立てる。そこに何ら問題は生じない』 エリート将校は釘を刺すことも忘れなかった。 『新たな機能を追加するということは人員と機材が必要となり、大きな予算を伴う。日本政府が嘉手納基地から航空機をグアムに移転してくれなんて要求を出さないように祈っている』」(同書 227ページ~230ページ)

「砂上の同盟 -米軍再編が明かすウソ-」 屋良朝博著 2009年7月10日 沖縄タイムス社出版  1200円(税別)

 ぜひ、一度お読みください。星野文昭さんを取り戻す闘いにとって、沖縄闘争、米軍再編反対闘争の高揚は大きな支えとなり、勝利の展望をこじ開けることは確実です。「闘う相手を知る」点でも、一読に値する書物だと思います。

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辺野古のある大浦湾

Photo  普天間基地の移設先候補とされる沖縄・名護の辺野古は、左写真の大浦湾(左下)にあります。写真は、09年3月に出版された「大浦湾 生き物マッププロジェクト」から引用したもの(1977年、国土交通省撮影)です。辺野古周辺の素晴らしい生き物が、この写真集には紹介されています。なぜ、名護の、そして沖縄の皆さんが、2000日を超えて辺野古で座り込みを続けておられるか、よくわかります。沖縄のこの海を守り、生活を守るには「基地撤去」、「辺野古新基地建設反対」しかありません。

 「大浦湾 生き物マップ」から大浦湾の紹介を転載します。

大浦湾について

 沖縄本島北部東海岸に位置する大浦湾は水深が深くラッパ状に切れ込んだ地形をしている。このような湾は沖縄の他の地域ではあまり見られず、それゆえに複雑で面白い生態系が構成されていると思われる。浜から磯斜面までにいくつもの切れ込みと高まりが繰り返す地形となっており、その高まりの上に多くの種類から成るサンゴ群集やリュウキュウアマモやリュウキュウスガモなどからなる海草藻場が発達している。

 赤土流出やオニヒトデの発生、白化現象などの影響により、沖縄島周辺海域のサンゴ群集の多くは壊滅的な状況にある。Photo_2 その中で、チリビシ(注・上の写真中央部の右手外側にある海域)のアオサンゴ群集、ハマサンゴ類、コモンサンゴ類、ミドリイシ類、キクメイシ類、アザミサンゴなど多くのサンゴ群集が良好な状態で生き残っている、サンゴ類及びサンゴ礁生態系を構成する生物群集の多様性は高く自然保護上重要な海域である。

 トカゲハゼのような希少種も生息しており、更には南方系の魚卵や稚魚がトラップされ、それが大浦川や汀間(ティマ)川に加入するという特性も持っている。

(注・右写真は、カクレクマノミとセンジュイソギンチャク。めっちゃかわいいカクレクマノミに、思わずぬいぐるみの写真?と勘違いした私です。なお、写真、文章とも「大浦湾 生き物マップ」誌からの無断転載です。)

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今月のカレンダー

Jpg  絵は、「クリスマスを暁子と一緒に過ごす日」(07.12-08.2)です。

 この間、沖縄の普天間基地(右写真)の移設問題、辺野古の新基地建設問題、そして日米両政府の密約問題と沖縄をめぐってマスコミがにぎにぎしく報じています。09524

 しかし、沖縄のみなさんの圧倒的な意志は、8月30日の総選挙において自民党議員が一人も通らなかったことが示すように、そして何よりも11月8日の県民集会が、超党派で2万1千人もの規模で、普天間基地の県外・国外移設、そして辺野古新基地建設反対を訴えたように、基地撤去を基調としたものであることは明らかです。

 沖縄の現実は、依然として戦後60年を経た今も、第2の琉球処分と言われた1947年の昭和天皇自身によるアメリカへの「天皇書簡」による沖縄の売り渡しと、そのことによる「国体維持」の上での戦後体制の構築の結果です。何よりも日本の国土の0.6%しかないところに75%もの米軍基地が存在し、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク、アフガニスタン侵略の出撃拠点となっていることです。女子高生への暴行、あるいは殺人など米兵とその家族による犯罪が繰り返し引き起こされているのは、まさに戦時下の軍隊による占領下にあるからにほかなりません。そして、この現実を日本(ヤマト)が、日米安保体制として強制し続けているからにほかなりません。星野文昭さんが、多くの労働者民衆とともに1971年11月14日決起したことは、まさにこうしたことへの沖縄の皆さんの怒りを体現したがゆえであり、それゆえに今も「安保粉砕」「沖縄奪還、日帝打倒」を獄中から叫び続けておられるのです。09415

 来年50年を迎える日米安保体制に対して、日米安保廃棄、安保粉砕を実現することにおいて、この普天間基地問題、辺野古新基地問題を、基地撤去として解決していく、これ以外に道はありえません。「日米同盟強化」を叫ぶ鳩山政権に対し、これを鋭く突きつけていく闘いが求められているのです。そうしたうねりと声の高まりこそ、星野文昭さんの「冤罪」を晴らし、1日も早い釈放と、再審無罪をかちとる大きな基礎となるのではないでしょうか。

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