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2009年11月

一日も早く星野さんを獄外へ

 賛同会員・支持者のみなさん。数か月にわたり、「星野再審ニュース」「兵庫・星野署名ニュース」をお送りせず、ご案内が途絶えておりますことを先ず冒頭、心からお詫びいたします。
 「兵庫・星野文昭さんを救う会」(以降「兵庫の会」と略す)は、一昨年11月17日、宝塚・大林寺で開かれた「星野文昭絵画展と詩の朗読」の集いの中で、結成されました。以来2年、3度の絵画展と、2度の学習会、1度のライブコンサート、そして毎月の街頭署名活動を行ってまいりました。永井満世話人の文昭さんとの面会、昨年の徳島での「星野ライブ」への参加なども。
 「私たちは、このような非人道的な立場におかれた星野文昭さんを一日も早く獄外に取り戻し、公正な裁判を受けるという当然の権利を勝ち取るために、『兵庫の会』を結成いたしました」(「賛同のお願い」より)。この私たちの初志は、今も変わりません。
 しかし残念にも、「星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議」(以降「全国会議」とする)の運営委員会は、私たち「兵庫の会」が星野救援運動に敵対していると一方的に断定し、8月以来、「星野再審ニュース」の送付を打ち切りました。また、この10月末に加古川で「星野絵画展を開きたい」という要請に対して絵画を送らないという処置が行われました。同時に、8月、7項目にわたる「兵庫の会」への質問状が、「全国会議事務局」の名で送付されてまいりました。
 こうした状況について、私たちは「兵庫の会」世話人会を開催し、相談をいたしました。「質問状」が「兵庫の会」を排除することを目的とした言いがかりとしか取り様がない、そもそも私たちは「全国会議」のもとで結成したのではなく、また、「全国会議」は各地で生まれた星野救援運動の連絡を取りながらゆるく団結を図っていくものとしてあるという私たちの理解をあらためて確認しました。結論として、「質問状」には回答しないことと、これからも初志に基づいて、星野文昭さんの一日も早い釈放と、再審・無実をかちとるために私たちのできることをやって行こうということを確認いたしました。
 賛同していただいております皆様には、毎月の「星野再審ニュース」の送付を条件に、年会費3千円をお願いしてきました。しかし、私たちのところには「再審ニュース」は送られてまいりません。今後は、私たち独自の力で、星野文昭さんの救援運動を進めていかねばなりません。この「兵庫・星野さんを救う会ニュース」をお送りすることで、皆様のご賛同、ご支持を、あらためてお願いする外ありません。来春、1月が年度替わりですので、その折のニュースに振込用紙を同封し、ご賛同の再登録をお願いしたいと考えております。
 今日、鳩山民主党政権が、日米同盟強化を打ち出す一方で、11月8日、「辺野古新基地建設反対、県内移設反対」を掲げた県民集会に2万1千人の皆さんが結集して、新たな沖縄闘争の高まりが始まっています。こうした状況であればこそ、1971年11月14日の星野文昭さんの決起と、それに対する星野さんの獄中35年という国家犯罪の意味と、釈放・再審・無罪の闘いの重要性がいよいよ明らかとなっております。
 私たちの力不足から、かかる事態となりましたことを重ねてお詫びするとともに、今後とも、「兵庫の会」への変わらぬご支持を賜りますよう心からお願いし、ひとまずのご報告とさせていただきます。        2009年11月20日
   兵庫・星野文昭さんを救う会世話人    松原康彦(事務局)

「兵庫・星野さんを救う会ニュース」第21号より

 

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今月の街頭署名、街宣活動 11月21日

2003

 兵庫・星野文昭さんを救う会の定例街宣・署名活動を、11月21日(土)午後2時から3時、JR元町駅南東の歩道で行います。お時間のある方はご協力ください。(最初の文昭さんの絵は、2003年制作の「実りのテーブル」です)

 11月8日、「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民集会」が、会場の宜野湾海浜公園野外劇場をあふれかえる2万1千人の結集で闘い抜かれた。また、東京、大阪など各地でこれに呼応する集会やデモが繰り広げられた。米軍再編による新たな沖縄支配、米軍基地強化の蠢きに対する沖縄の人々を先頭とする闘いのうねりは新たな高揚を開始した。

 これに対し、民主党政権は、昨日、鳩山・オバマ首脳会談で、来年の日米安保50周年に向けて日米同盟を深化させるために「新しい協議のプロセス」を進めることで一致したと報じられている。「同盟深化」とは軍事同盟の強化でしかない。それは、辺野古新基地建設への道であり、憲法9条改憲の道である。新政権誕生の最中の三里塚における暫定滑走路北延伸部分の供用開始の攻撃、そして一昨日の天神峰現闘本部裁判の国策裁判としての結審攻撃の強行に見られるように、またアジア共同体構想が06年の「アジアゲートウェイ構想」の焼き直しであることが明らかになっているように、鳩山民主党政権は、骨格的政策である軍事問題をはじめ、農業政策など自民党政権を引き継ぎ進もうとしていることは明らかである。

 私たちは、38年前のこの日、1971年11月14日に、基地付沖縄返還協定に反対して決起した星野文昭さんに対して、国家権力が襲いかかり35年の長きにわたって「無期懲役」を課し獄にとらえ続けていることを断じて許してはならない。新たな高揚を開始した沖縄の人々の基地撤去の闘い、そして三里塚闘争の一環として、私たちは、星野文昭さんを1日も早く取り戻し、同時に、再審・無罪をなんとしても勝ち取らねばなりません。

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今月のカレンダー  淡々と

Photo  昨年の11月、姫路での星野絵画展をしていた最中にあった、徳島での「星野ライブ」を訪れて、初めて聴き感銘を受けて忘れられず、この6月に加藤さん、河野さんお二人をお招きし、兵庫の救う会としてライブを楽しく行いました。

 それだけに、この11月の「星野ライブ」を楽しみにし、兵庫の救う会として取り組んでいくことを相談しておりました。所が、その私たちの想いが、存在が理由とされて「星野ライブ」が中止とされ、徳島救う会の戎野代表が辞任声明を出されるまでに至りました。

 加藤さん、河野さん、そして戎野さんをはじめ、一日も早く星野文昭さんをご家族のもとに取り戻したいと願って来られた徳島のみなさんをはじめ多くの皆さん、とりわけご家族の皆さんに私たちの力不足から起こったこととして心からお詫びいたします。

 しかし、戎野さんの想いとして書かれているように、そして知花昌一さんからの加藤さん、河野さんへのメッセージ(10月28日)にありますように、私たちは、星野文昭さんを一日も早く暁子さん、ご家族のもとに取り戻すために、仮釈放も含むあらゆる手だてをこれからも尽くしていくとともに、文昭さんの無実を明らかにするための再審実現にむけた出来ることを、全力をあげてやっていきたいと願っております。

 この間、私たち「兵庫・星野文昭さんを救う会」について様々な風評が流され、ついにこのような事態に立ち至ったことについて、支援してくださっている賛同者の皆様にも、私たちの力不足のゆえに起こったこととして、心からお詫びいたします。しかし、一部に流布されているような「徒党」を組むような思いは毛頭ありません。先に述べましたように、文昭さんにかけられた「冤罪」をはらし、一日も早い釈放を勝ち取るために、一昨年11月の結成の想いを大事にし、淡々と取り組みを進めていきたいと念じ、皆様の変わらぬご支持、ご支援、そして共に文昭さんと喜びあえる日を迎えることができることを心から念じております。

 他の世話人の皆様が、この私の想いをご支持してくださることを確信しております。そして、加藤さんのバンドのライブがご成功されることを、遠くから祈念いたします。

 2009年11月4日  兵庫・星野文昭さんを救う会世話人                        松原康彦

 「僕はいま積極的に、日本の沖縄にたいする潜在主権という言葉を忌避するほかないと感じる。沖縄が、毒ガスから本当に解放されるためには、沖縄の人間の主権によって沖縄が把握されるほかにないが、その沖縄の人間の主権をおかして毒ガスのがわに立っているのはアメリカの『主権』のみではない。いま端的に、日本国の国政から参加を拒まれることで現実には行使できていない沖縄の民衆の主権をも、あたかもつつみ込んでいるすべての日本人の主権であるかのように擬装して、本土から日本国の潜在主権というもうひとつ別の『御意』をもちこんでゆくところの、われわれもまた毒ガスの側に立っている。」(1970年 大江健三郎著「沖縄ノート」より)

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