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2009年8月

今月のカレンダー

Photo  ようやく神戸でも今日梅雨が明けて、真夏になったようです。みなさんに、暑中お見舞い申し上げます。

 昨年7月14日に最高裁第3小法廷によって星野文昭さんからの再審を求める特別抗告が棄却決定されてから1年を経ました。

 しかし、その最高裁決定自体が、最大の「証言」とされてきた「狐色の服」を星野さんが着ていなかったことを認めざるを得ませんでした。このことを認めながら、再審を認めず、棄却決定を行う最高裁による国家意思、国策裁判の強行に激し怒りを改めて覚えるとともに、再審実現と星野さんの一日も早い釈放を勝ち取るために、私たちも頑張っていきたいと思っております。

 ところで、7月20日頃には発行されていたと聞いております「星野再審ニュース第146号」(星野全国総会報告号)が、今だに私たち「兵庫・星野文昭さんを救う会」の手許には届いておりません。また、私たちからの問い合わせにも全国事務局から、一言の応答もありません。どうしたのでしょうか。少なくとも、星野全国総会でこのような事態を示唆する論議も行われてはおりません。全国事務局が、独断で、私たち「兵庫・救う会」への送付を取りやめたとしか考えられないのですが、そうなのでしょうか。

 私たちが理解する限り、私たち「兵庫・救う会」はもとより、全国の「星野救援会」は、それぞれの地域のいろいろな立場、想いの中から結成されました。それは「星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議」が指導したり、呼びかけて結成されたわけではありません。星野暁子さんが、一つ一つを、その地を訪ね作り上げてきたところが多いとも聞いております。「兵庫・救う会」もまた10年ほど前に、数人の方に暁子さんが語りかけられ結成される直前まで行っておりましたが、中心になられる方の転勤などの理由でいったん立ち消えとなり、当時関わられた永井満さん、加瀬都貴子さんを加えて、7人の世話人で、07年11月に結成されました。確かに全国再審連絡会の事務局からの結成への要請が何人かの人に、その1年前ほどからありましたが、指導ということではありませんでしたし、現在の世話人諸氏への具体的働きかけはありませんでした。それゆえ、私たちにも全国再審連絡会の下部組織と言った理解はなく、共闘団体だと受け止めてきました。

 こうした大衆運動としての結成の過程は、おおむね、他の多くの「星野救援会」でも同じであろうと考えます。その相互の連絡と全国的な盛り上がりを作り出す武器ともいうべき「星野再審ニュース」が、全国事務局の独断で送付を中止されるようなことがあってはならないと思います。しかも、一言の連絡もなく、一方的に。

 わたしたち「兵庫・救う会」を構成する賛同者の皆さんとのお約束は、「星野再審ニュース」と「兵庫・星野署名ニュース」を原則、毎月送付させていただき、状況の報告と署名活動や絵画展などへの参加をお願いすることで、年会費3千円をいただいております。「星野再審ニュース」が入手できないことは、この賛同者の皆さんへの約束違反ともなります。

 以上のような趣旨から、全国事務局への私たちの遺憾の表明とさせていただきます。こういう形を取らせていただきましたのは、先にも触れましたが、全国事務局からの一言の応答も今日までのところ無かったことによります。

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