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3・20現地調査

Save0005  3月20日、現地調査に参加しました。雨降る中、30名ほどが小田急代々木八幡駅に集まりました。事務局Kさんの説明を聞きながら、37年前に星野さんがデモ隊を率いた道を歩きました。

 代々木八幡駅から井の頭通りに交差するまでの道は歩道がなく対面通行です。井の頭通りを越えると、そこから東急本店まで狭い一方通行の道になります。周りの建物は新しくなっていますが、道路の構造は当時のままだそうです。この道は井の頭通りから渋谷駅への抜け道になっていて、タクシーなど交通量の多い道です。この狭い道に200人(確定判決では過小評価して150人)近いデモ隊がいたとはかなり雑然としていただろうし、神山派出所前で阻止線をはっていた機動隊小隊も慌てて逃げたのがわかる気がしました。

 都民交通(現在ホテル)前では、O証人が70メートル先の殴打現場の人の顔を識別したと言うけれど、実際に私も視力1.5出る眼鏡で見てみましたが、よくわかりませんでした。O証人は裸眼0.2で、当日眼鏡もかけていなかったので、識別できるはずがありません。嘘の供述であることは明白です。

 殴打現場となった梅澤米店は今も当時のままの建物です。今も営業されているそうですが、日曜は休業日で、当時のままのシャッターが下りていました。

 事件現場に近い交差点は今通行人用の押しボタンの信号機があります。ボタンを押して車を止め、星野さんが立っていたマンホールに私も立ってみました。少し上り坂になった所にNHK放送センターがよく見えます。そこには機動隊の大隊が居り、逃げ込んだ機動隊員の要請を受け、デモ隊に向かってくるのを星野さんは警戒していました。星野さんが交差点の真ん中にいた事は機動隊の大隊の隊員も見ているはずです。

 梅澤米店脇に2000年11月15日に建立された死亡した機動隊員の慰霊碑があります。警視庁幹部らが、暴徒から渋谷を守ったとして感銘して、同僚からカンパを集めて作ったものだそうです。碑には「星一つ 落ちて都の 寒椿」の句が刻まれています。この慰霊碑のニュースに対し、星野暁子さんは「星ふたつ 耐えてあけぼの 寒椿」という句を作られています。冤罪は更なる苦しみを本人だけでなく、その家族にも与えています。そして碑には絶えず花が供えられているそうです。若い青年が死亡したという事実に胸が痛みますが、事件から29年も経ってから、英雄であるかのように扱われはじめたということに、どうしても納得いきません。

 面会した人たちの話しを聞くと、星野さんは、明るく元気いっぱいで、人が人らしく生きる社会の到来を確信しています。星野さんが革命家として存在しているとしても、囚われの身であることに変わりありません。何としても星野奪還しなければならないと思いを新たにしました。 (大野)

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