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2009年3月

3・20現地調査

Save0005  3月20日、現地調査に参加しました。雨降る中、30名ほどが小田急代々木八幡駅に集まりました。事務局Kさんの説明を聞きながら、37年前に星野さんがデモ隊を率いた道を歩きました。

 代々木八幡駅から井の頭通りに交差するまでの道は歩道がなく対面通行です。井の頭通りを越えると、そこから東急本店まで狭い一方通行の道になります。周りの建物は新しくなっていますが、道路の構造は当時のままだそうです。この道は井の頭通りから渋谷駅への抜け道になっていて、タクシーなど交通量の多い道です。この狭い道に200人(確定判決では過小評価して150人)近いデモ隊がいたとはかなり雑然としていただろうし、神山派出所前で阻止線をはっていた機動隊小隊も慌てて逃げたのがわかる気がしました。

 都民交通(現在ホテル)前では、O証人が70メートル先の殴打現場の人の顔を識別したと言うけれど、実際に私も視力1.5出る眼鏡で見てみましたが、よくわかりませんでした。O証人は裸眼0.2で、当日眼鏡もかけていなかったので、識別できるはずがありません。嘘の供述であることは明白です。

 殴打現場となった梅澤米店は今も当時のままの建物です。今も営業されているそうですが、日曜は休業日で、当時のままのシャッターが下りていました。

 事件現場に近い交差点は今通行人用の押しボタンの信号機があります。ボタンを押して車を止め、星野さんが立っていたマンホールに私も立ってみました。少し上り坂になった所にNHK放送センターがよく見えます。そこには機動隊の大隊が居り、逃げ込んだ機動隊員の要請を受け、デモ隊に向かってくるのを星野さんは警戒していました。星野さんが交差点の真ん中にいた事は機動隊の大隊の隊員も見ているはずです。

 梅澤米店脇に2000年11月15日に建立された死亡した機動隊員の慰霊碑があります。警視庁幹部らが、暴徒から渋谷を守ったとして感銘して、同僚からカンパを集めて作ったものだそうです。碑には「星一つ 落ちて都の 寒椿」の句が刻まれています。この慰霊碑のニュースに対し、星野暁子さんは「星ふたつ 耐えてあけぼの 寒椿」という句を作られています。冤罪は更なる苦しみを本人だけでなく、その家族にも与えています。そして碑には絶えず花が供えられているそうです。若い青年が死亡したという事実に胸が痛みますが、事件から29年も経ってから、英雄であるかのように扱われはじめたということに、どうしても納得いきません。

 面会した人たちの話しを聞くと、星野さんは、明るく元気いっぱいで、人が人らしく生きる社会の到来を確信しています。星野さんが革命家として存在しているとしても、囚われの身であることに変わりありません。何としても星野奪還しなければならないと思いを新たにしました。 (大野)

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「とめたいんや戦争!守るんや命 3・8行動」で署名活動

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 昨日、3月8日、大阪の北区民センター・ホールで開かれた「09年 とめたいんや戦争! 守るんや命! 3・8行動」に参加し、展示コーナーで星野文昭さん0938_2 の釈放・第二次再審を求める署名活動を訴えました。(上の写真は、集会の最後に守田さんの音頭で、この日の「行動アピール」をみんなで唱和しているところ)

 集会の報告は、「関実・三里塚」ブログhttp://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-4363.htmlに掲載されておりますのでそちらをご覧ください。

 署名は、53筆集められ、これで594筆に。

 集会後は、私たちもピースウォークに参0938_4 加。わずか1本でしたが「救う会」の黄色い旗をだしてがんばりました。

 奈良の森本さんが、 いつもの三線をもって唄いながら元気にデモをしておられました。

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第二次再審を求める署名活動 3月7日

0937

 今日、3月7日、JR元町駅前で6人が参加して、第二次再審を求める署名活動とビラまきを行いました。

 南米の方の路上演奏があり、マイクを持てたのは、その演奏が休んでいる間の20分ほどしかできませんでしたが、寒さが和らぎ、人出も多くて、まぎれそうになりながらの署名活動でした。0937_2

 米軍再編の中で辺野古の新基地建設への動きに見られる沖縄の現状を訴え、獄中から基地撤去の闘いを続けている星野文昭さんの闘いと、無実・無罪を訴えました。

 先日の中曽根外務大臣とアメリカのクリントン国務大臣による「沖縄駐留米海兵隊のグアム移転に関する協定」締結と直後の麻生総理大臣の沖縄訪問に見られたように、沖縄県民への説明は全くないままのその押し付けとそのための6000億円の日本の負担は、「沖縄の負担の軽減」などではなく、沖縄の基地の強化、最前線基地化でしかないことを物語っています。0937_3

 私たちは、沖縄の辺野古新基地建設反対の闘いを支え抜き、米軍再編=改憲攻撃をなにがなんでも阻止する闘いを、星野文昭さんを取り戻す闘いとしてやり抜かねばならないと改めて思いました。

 この日の署名は、19筆、第2次再審署名は、合計541筆です。

 当ブログへのアクセスが、ちょうど10ヶ月で、昨日、1万を超えたようです。ありがとうございます。なかなか維持が難しいブログですが、これからもよろしくご支援、ご注目をお願いいたします。

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3月のカレンダー

3   絵は、「春を迎えた山里」(08.4.28)

 先日の学習会の後、「兵庫・星野文昭さんを救う会」の世話人会が開かれ、今後についての相談をしました。

 学習会(第3回)は、今度はちょっとリラックスをしようと、音楽などを聞く交流の一時が持てないだろうかということになり、演者などと交渉をしてみようということになりました。乞うご期待。

 街頭署名活動については、① 3月7日(土)午後2時~3時 JR元町駅前 ② 4月18日(土)午後2時~3時 姫路駅・山陽百貨店前で、それぞれ行うことが決まりました。第2次再審署名は、昨年8月以降で522筆になっています。

 絵画展は、5月末に西宮で、10月末に加古川で行うことを目標に会場の確保に努めることを確認しました。いずれも、4月1日が会場の抽せん日で、それを待って決めます。

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死刑制度から司法のあり方を考える

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 一昨日、3月1日、兵庫・星野文昭さんを救う会の第2回学習会が、本会の世話人で、浄土宗大林寺の住職、木下達雄さんを講師に「人は他人を裁けるのか-死刑制度から司法のあり方を考える」と題して行われました。この日、従軍慰安婦問題や「日の丸・君が代」不起立問題、あるいは神戸市の市民病院移転問題など驚くほど集会が重なり、これは難しいかなとおもっていたのですが、19人の方が参加下さり、2時間余りの学習会が充実した中身を持ってもてることができました。

 「殺人事件が減っているにもかかわらず、ここ数年死刑の執行が急増」してい る現実を背景にしながら木下さんは話された。「永山基準」と言われたできるだけ「死刑」を回避していた傾向が無視され、「遺族感情」などを根拠に死刑が執行されている。日本では08年世論調査でも80%の人が「死刑存置」の意見を持つ現実がある。しかし、大国で死刑制度が存置されているのは、日本以外ではアメリカ、中国のみ。廃止国・地域138に対し、存置国・地域は59。

 木下さんは、まず日本国憲法に違反し(13条、31条、36条)、基本的人権を国家権力が破壊するとして「廃止」の必然性を明らかにされた。そもそも法的な09301_4 根拠となるものがないまま、1873年に出された「太政官布告65号」がその根拠とされるおかしさを指摘。そして裁判官の不確かさを、具体的に1949年イギリスでの冤罪による知的障害者の処刑と、その裁判官が1965年死刑廃止の運動の先頭に立って廃止が実現した歴史を示しながら冤罪による処刑の恐れなどをあげられた。(上写真が、木下達雄さん)

 その上で、無期懲役が10年で仮釈放の可能性が認められていることから「終身刑」新設の動きがあることに触れられた。実際には厳罰化の流れの中で、無期囚の仮釈放が減少し(07年は3人)、獄中にあるのが平均31年以上になり、獄死が増えている(10年間で120人獄死)現実の中で、なぜ「終身刑」新設なのかと。

 そして無期囚、または死刑確定囚で、再審無罪が確定したのは、戦後12件だけで、1989年の島田事件が再審無罪になって以降、再審請求は退けられ続けている。

 そして日本における厳罰化が強まる状況について、国家権力による人民への支配・統合・管理の意思が強く働いていることを指摘した上で、すでに始まっている被害者の審理への参加などが被告人の権利を阻害している現実を明らかにされた。そして犯罪が減っているにもかかわらず、マスコミによる「犯罪多発」の虚偽宣伝などの問題を指摘。特に被害者、遺族の復讐感情に依拠するなどの流れに、法体系、国の在り方として異議を唱えられた。

 アメリカの「産獄複合体」の話には驚いた。「90~98年に殺人事件は2分の1に。しかし、殺人事件報道は4倍に増加。犯罪率が下がった時期に監獄人口は急増」というのだ。

 95%以上の人間が09301_3 「裁かれる」側におかれている差別と抑圧の社会でありながら、裁ける側にいるような錯覚に国民を陥れる「裁判員制度」。そして戦争と死刑が公然と国家権力が人を殺す国家犯罪であるとした上で、政治的反対派の弾圧の手法として死刑が存在することを指摘された。そして「裁判員制度」が被告人の防衛権を無視していることと憲法違反のデパートであると指弾された。そして刑事司法「改革」の現状を批判された。

 そして最後に今後の展望として、死刑と監獄のない社会を実現しようと、提起された。そのためには「犯罪と懲罰との既存の思考方法」を止めることだと。「刑事裁判制度を刑法にもとずく復讐や懲罰でなく、補償法により補償=賠償と和解という考え方に立って編成しなおすべきではないか。法を逸脱した者=債務者という考え」と。

 さらに、イギリスやフランス、ドイツに比べ、なぜ日本で今、厳罰化が進むのか。これについて、日本人の中にある「民族宗教」のようなものがあり、個の思想や民主主義の思想を本当に獲得し切れていないことが、明治以来の資本主義化の政策の中で、天皇制などにより強制されてきたことなどが木下さんから提起された。

 非常に重い気分に占められ、難解な学習会でしたが、終わってみれば、一つ力を得たような達成感のある学習会でした。

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