「憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネットワーク」の機関紙11号に、先日の絵画展の冒頭お出で下さり、美術の先生としてお手伝いくださった同会のYさんが、一文を投稿してくださったので、そのまま転載させていただきます。
無実・解放のための絵画展
世に理不尽な事が余りに多いが、冤罪ほど理不尽なものはない。
星野文昭さんの名前は、元教ネットの運営委員会(各人がかかわっている活動の紹介、交流の場でもある)で手渡された1枚のビラから知った。7月24日、25日の2日間、神戸市勤労会館の一室で開催された「星野文昭絵画展」へ足を運んだ。
星野さん(1946年生まれ、62歳)は、1971年、25歳のとき、東京・渋谷における「沖縄に基地の犠牲を強制し続ける『返還協定』批准反対」の大規模なデモに参加した。そのときに1名の機動隊員が死亡した。その「実行犯」としてデッチ上げられ無期懲役とされ、実に獄中33年という過酷な囚われの歳月を強いられている。
21世紀に入り、徳島刑務所の中で、粘り強いたたかいの末に「絵筆を手に」し、絵画クラブに所属し描き続けている水彩画は、明るい陽光をたたえた清らかな作品である。
獄中結婚されたパ-トナ-の星野暁子さんとの『詩画集』は、お二人のたたかいの源流であり、房外の私たちへの限りないメッセ-ジである。暁子さんは、その「まえがき」で次のように書いている。「私の部屋には、文昭の絵が3枚飾ってある。何もかも公開しなければならない苦痛さを和らげるために、これらの絵は手放さずに持っていようと思う。文昭も1枚は持っている絵があると言っていた。けれど、絵と詩は不思議なものだ。公開して第三者との対話が様々なところで聞こえてくることで、文昭にも私にも、豊かな思いが返ってくる」。
『星野再審ニュ-ス135号』(2008年7月15日発行)で、京都での絵画展のアンケ-ト(感想文)が紹介されている。「よくそんな御生活の中で、こんな絵を描かれると驚嘆しております。美しいと思います。が、素人の弁ですが、何か焦点がほしい気がします」と。作品について私も同じものを感じたが、何よりもこの感想を書いた女性と、それを取り上げたニュ-ス編集者の星野さんへの「対等感」に共感した。いちばん表現したい焦点は、お二人の手元に残された四作の中にあると、私は思っている。そして「まえがき」と「感想」は、表現のもつ力とあり様(よう)と、受け手の質を問うている。
2008年7月14日、最高裁は、特別抗告していた「再審請求」を却下した。そんな事が許されるはずはない、と画中の「夏野菜たち」は訴え続けている。私たちが理不尽な権力の仕業に対抗するには、世論の結集しかない。
「冤罪」といえば、50年くらい昔、私が高校生だった頃、兄が「八海事件」にかかわり、阿藤周平氏が18年のたたかいを経て無罪をかちとる1968年まで、家族中で動き回った事や、私の勤務先だった美術室に「帝銀事件」の平沢貞通氏(画家)の絵画展のポスタ-を展示していたのを、昨日の事のように思い出す。延々と繰り返される冤罪事件だが、いまの私には事実を知る、知った事を伝える、出来る事をするしかない。
星野文昭さんの無罪・解放のため、第2次再審請求の署名をお寄せください。
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