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2008年6月

6月のカレンダー

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 上の絵は、6月のカレンダーに掲載の、昨年6月23日に、星野文昭さんが描かれた「沖縄・アカバナーと少女」と題する絵です。

 先日開かれた「6・15星野文昭さんを救う会」で、「兵庫・星野文昭さんを救う会」の新たな世話人が3人加わり、7人の世話人で会の運営を行っていくことがきまりました。昨年、11月17日の会結成以来7カ月でようやく、基本的な体制が出来上がりました。これまでを助走期間として、星野さんの釈放、再審・無実を勝ち取るために、全国の仲間と一緒に頑張っていきましょう。

 世話人は(順不同)、大野恭子(主婦)、加瀬都貴子(神戸市民救援会議代表)、木下達雄(浄土宗大林寺住職)、玉光順正(真宗大谷派僧侶)、佃真人(日本キリスト教団宝塚教会牧師)、永井満(牧師・淡路町空港反対同盟代表)、松原康彦(新空港反対東灘区住民の会事務局長)、です。

 当面の活動として

① 街頭署名活動 時・7月20日(日)午後4時半~5時半 /Photo_2  場所・JR元町駅前東南歩道

② 「星野文昭絵画展」 時・7月24日(木)午後1時~5時、7月25日(金)午前11時~午後7時 / 場所・神戸市勤労会館 307号室 (右図参照)

  

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ある冤罪

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 私の小学校低学年の頃の実体験です。あれは、今から40年ほど前のことでした。

 夕方二人の警察官がうちの家にやってきました。はじめ母が対応したら、すぐに父にも来るよう言われました。そして、家にある自動車を見せるように言うのです。警察官のことばに従って、父母は車庫へ二人を連れて行きました。子供の私も無邪気についていきました。一人の警察官は車から少し離れたところで、父母と向き合って立っていました。もう一人の警察官は大きな懐中電灯で車を照らしながら、しゃがみこんんで、へばりつくように、舐めるように車を見ています。私はその警察官のすぐそばで、じっとその仕草を見ていましたが、私にあっちに行けとも言わずに、ただひたすら彼は車を見ていました。

 突然母の大きな声がしました。「何があったんですか? 何しているのですか? 教えてください」。警察官は憎々しげに 「自分の胸に聞いてみろ」と大きい声で言い返しました。「自分の胸に聞いてみろとはどういうことですか? 何聞くんですか?」 もうほとんど、母は叫んでいました。

 それからしばらくして、沈黙を破るかのように、車にへばりついていた警察官が 「ありました。Sさん。やっぱりありました」と大きな声で言いました。「やっぱり、あったんだな」 Sと呼ばれた警察官が駆け寄りました。そして、そのSは、ますます尊大な態度になって、「えぇー、このキズはどうやってつけた。えぇー、答えられないのか」と言いながら、2センチほどのひっかきキズを指し示しています。そのキズはいつぞや、私がすねて針金でつけたキズかもしれません。

 ずっと偉そうな態度のSは勝ち誇ったかのように言いました。「K田H夫、お前を・・」。すかさず、父が言いました。「私はK田N一です。K田H夫さんは4軒先の家です」。

 すると、Sともう一人の警察官は 「行こか」とだけ言って、そのまま知らん顔して、うちの家から去って行きました。そのうち判ったことは、近くの交差点でひき逃げ事故があり、被害者は骨折などの大けがを負っていました。目撃者も多くて、皆がH夫さんが運転していたと証言していました。H夫さんの車は前方のライトが破損してなくなり、ボンネットが大きくへこみ、タイヤには血がべっとりと着いていたそうです。

 二人の警察官があったと喜んでいた車の小さなキズは、父が犯人であるはずがない大きな証拠であるのに、警察官たちの思い込みは、歴然とある目の前の事実さえも見えなくさせているのでした。

 謝らないのが当然という警察官たちを、母はいつまでも 「自分の胸に聞いてみいと言われた」と怨みがましく言っていました。

 (最初の絵は、「FUMI AKIKO 詩画集」より。文昭さんの作品です。)

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6・15署名活動と救う会

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 昨日、JR元町駅前で、兵庫・星野文昭さんを救う会の街頭宣伝、08615_2 署名活動を行いました。9人が参加し、再審無実を求める66筆の署名、約400枚のビラをまきました。終始、大野世話人がマイクで、星野文昭さんの無実、冤罪事件であることを道行く人に訴えました(右写真)。

 署名活動を終ってから兵庫県私学会館に移動。兵庫の会として初めての「集い」を開きました。16人の方が参加していただきました。

 先ず、ビデオ「ある冤罪 沖縄闘争で無期懲役」(48分)を上映。それから、大野世話人の挨拶。永井世話人からの5月14日の、徳島刑務所での星野文昭さんとの面会報告。そのあと、みなさんからの自己紹介を兼ねた、星野救援運動へのそれぞれの想いが語られました。

 新たに加瀬都貴子さん(神戸市民救援会議代表)、玉光順正さん(真宗大谷派僧侶)を世話人に加わっていただき、賛同人を増やしていくことを確認しました。08615_3

 また、7月24日、25日、神戸で「無実の星野さんに自由を! 星野文昭絵画展」を開くことを決めました。【会場】神戸市勤労会館(三宮) 【時間】7月24日(木)午後1時~5時 / 7月25日(金)午前11時~午後7時

 さらに、会計のことなどを打ち合わせ、集いを終えました。みなさん。ご苦労さまでした。

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千里の道

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 陸軍中野学校出身で九十歳になられる渡部冨美男さんは、ご自身の中国での戦争体験と捕虜時代のご自分を語ることを通して、戦争の残酷さ、愚かさを語りつたえ、反戦平和を訴え続けておられます。5月31日、その渡部さんを「囲む会」に、非常に短い時間でしたが、お邪魔してお話しをうかがうことができました。
 渡部さんは耳が遠くなられていて、通訳が必要なほどでしたが、理路整然とお話しをされ、何よりも強い反戦への思いに圧倒されそうでした。実際に兵士として戦争を体験した人の語る具体的なお話しからは、心の奥底まで沁みとおるように「戦争は嫌だ」という気持ちが伝わって来ます。過去の戦争をただ語られるのではなく、「現在も戦前と同じだ。イラクに行っているではないか」と語気を強め語られるご様子に、大きな感銘を受けました。
 私は、「反戦平和」というと星野文昭さんのことを思わずにはいられません。
 星野さんは小学生の時、原爆の被害者たちの写真を見て、戦争を絶対許してはならないという気持ちを持たれたそうです。大学生になって、星野さんの思いは三里塚軍事空港反対や沖縄返還協定反対闘争となって、具現化して行きます。そして、その闘争のさなかで冤罪をかけられました。
 星野さんを取り戻す運動は、反戦平和を求める運動でもあるのではないかと、私は思っています。星野さんが獄中33年間非転向を貫くのは、星野さんの沖縄や反戦への強い思いがあるからです。九十歳にしても今なお戦争の語り部として反戦平和を訴える渡部さんにも、星野さんにも、同じ強い思いがある事を感じました。
 「千里の道」は渡部さんが自費出版された戦争体験やお気持ちを描かれた本です。

 最初の絵は、文昭さんの作品 「実りのテラスから、北の大地を眺む」 です(「Fumi Akiko 詩画集」より)。

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姫路で初めての署名活動

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 昨日、5月31日、姫路の中心街、山陽百貨店前の歩道で、星野さんの再審・無罪、即時釈放を求める署名活動を行いました。他の 「救う会」から駆けつけてくださったNさん、Sさんも交え、大野世話人を先頭に6人での街宣でしたが、初めての地元・姫路ということもあって大野さんの訴え(写真)に力が入る。

 「警察の冤罪は許せん。そんなこと全然知らんかった。33年も放っといたんか」と文句を08531_2 言いながら署名をしてくれるおじさん。「資料など送ってください」と言ってくれる方が、二人も。また、神戸新聞に「意見広告が今日、載りました」の訴えに耳を傾け、署名をしてくれる方も。

 1時間余り、4つの署名板で99筆の署名。ビラも300枚余りが配られました。終わってお茶を飲みながらの打ち合わせでは、「感触が良かったから姫路で絵画展も・・・」という意見も。

 6月15日(日)、午後2時から、JR元町駅前での署名活動をやってから、午後3時15分から近くの私学会館で、初めて賛同人のみなさんに集まっていただいて、先月面会された永井世話人の報告と、ビデオ「ある冤罪」をみたりしての交流 「兵庫・星野文昭さんを救う会」 の初会合を行うことなどを話し合って散会しました。遠くからNさん、Sさんありがとうございました。

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