「兵庫・星野文昭さんを救う会」のブログを開設しました。まだ、結成して半年にしかならないヨチヨチ歩きの会ですが、獄中33年、不屈に闘いぬいておられる星野文昭さんを一日も早く取り戻し、再審・無罪を勝ち取るために頑張ります。以下に、会の結成時の「賛同のお願い」を掲載して、ご挨拶に代えます。(最初の絵は、星野文昭・暁子お二人の「詩画集」に掲載された獄中で文昭さんが描かれた絵です。)
みなさん。星野文昭さんをご存知でしょうか。この春には62歳になられます。無実の罪で、すでに33年間も囚われの身となって、今も徳島刑務所に収監されています。
1971年、核・基地つきという沖縄返還のあり方をめぐり沖縄でも本土でも闘いが拡がり
、11月14日、東京・渋谷のデモの中で一人の機動隊員が死にました。近くでデモの指揮をしていた星野さんが、見せしめとして逮捕され、殺人罪の汚名を着せられ、無期懲役を科せられたのです。物的証拠は何一つなく、犯人は「キツネ色上下の背広を着ていた」とされるのですが、星野さんは当日「水色のブレザーとグレーのズボン」だったことが判っています。あるのは警察の取調べ室という密室で作られた、「共犯」として逮捕された他の人の「供述調書」だけです。これは警察により作られた明らかな冤罪です。
ではなぜ、裁判所は再審を受けつけないのでしょうか。星野さんを釈放しないのでしょうか。
当時、沖縄返還協定に反対して沖縄をはじめ、多くの人が立ち上がりました。沖縄の米軍基地が固定化され、沖縄がアメリカの世界戦略の「キーストーン(要石)」にされると理解したからです。その通り、40年近くたった今も、沖縄・辺野古への新たな基地建設をはじめ、沖縄戦での住民の集団自決への日本軍の関与という歴史までが、今の政府の手によって消し去られようとしているではありませんか。昨年9月、沖縄での12万人の怒りの声を、みなさんは、どう聞かれましたか。星野さんは、今なおこうした現実への「みせしめ」として囚われている政治囚なのです。
90年には星野さんのお父さんが、昨年6月8日には、星野さんを気遣いながらお母さん
の美智恵さんが亡くなられました。星野さんは、親の死に目にも会うことすらできませんでした。また、獄中結婚して20年になる暁子さんと自由に会うこともできません。
私たちは、このような非人道的な立場におかれた星野文昭さんを一日も早く獄外に取り戻し、公正な裁判を受けるという当然の権利をかちとるために、昨年末、「兵庫・星野文昭さんを救う会」 を結成いたしました。星野さんは、獄中にあっても、労働者や抑圧されている人々の解放を常に考えておられます。このままにしておくことは、私たち自身の損失でもあります。この星野さんの再審・無罪と釈放を求めるために、一人でも多くのみなさんに、「兵庫・星野文昭さんを救う会」運動へのご賛同を賜りますよう心から訴えます。お力をお貸しください。
2008年1月
呼びかけ世話人 大野恭子 (主婦)
木下達雄 (浄土宗大林寺住職)
永井 満 (牧師・淡路町空港反対同盟代表)
松原康彦 (東灘区住民の会事務局長)
賛同会費 年間 1口 3000円 / 郵便振替番号 00980-7-193794
口座名 兵庫・星野文昭さんを救う会
左の絵は、星野文昭さんの自画像、右の写真は徳島刑務所の前で面会を終えて出て来られた連れあいの星野暁子さんです。
最近のコメント