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2008年5月

意見広告

08531

 今日の神戸新聞の朝刊、全県版に 「兵庫・星野文昭さんを救う会」の意見広告(上写真)が掲載されました。管理人のところは別紙なため、賛同人の方からファックスで送って頂いたものです。本文は、

 星野文昭さんに自由を!

1971年11月、米軍基地付のまま沖縄返還に反対するデモで、機動隊員一人が死亡した「渋谷事件」で、デモ隊のリーダーであった星野文昭さんは機動隊員を殴打し、殺害を命じたとして無期懲役の判決が確定し、33年たつ今も徳島刑務所に収監されています。

この事件では物的証拠はなく、あるのは星野さんの顔も名前も知らないデモ参加者の捜査段階の供述のみです。誤認逮捕による冤罪であると考えています。

兵庫・星野文昭さんを救う会では星野さんの再審・釈放をもとめて署名活動をしています。

兵庫・星野文昭さんを救う会

 担当していただいた大野さん。ご苦労さまでした。さあ、雨も上がりそうだし、今から姫路駅前での署名活動に頑張ろう! 午後2時、JR姫路駅東口(北側)にお集まりください。

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Fumi Akiko 詩画集

Photo  毎回ブログで紹介しています星野文昭さんの絵と暁子さんの詩。温かい、優しい色使いの絵、獄中の文昭さんや彼の生き方への想いが込められた詩を、「詩画集」として、実際に手にとってご覧になりませんか。

 今回、加古川市立中央図書館に続き、加古川市立加古川図書館でも蔵書登録されました。

 兵庫県内には現在7か所の図書館に「Fumi Akiko 詩画集」が蔵書として置いてあります。

・尼崎市立中央図書館  (開架)
・神戸市立須磨図書館  (開架)
・加古川市立中央図書館 (開架)
・加古川市立加古川図書館(開架)
・高砂市立図書館    (書庫)
・加西市立図書館    (開架)
福崎町立図書館    (開架)
なお、高砂市立図書館は、書庫蔵書ですので、閲覧される場合、受付で申し出てください。

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意見広告

Pim0081 地元紙の神戸新聞の全県版に、広告を出します。掲載日は、初めての姫路駅前街宣にあわせ、5月31日です。「星野文昭さんに自由を!」という見出しで、サイズは、縦6.9センチ、横19.1センチです。

 広告を出すにあたり、広告委員会なるものが新聞社内に開かれて、掲載可否や内容について検討されたようです。

 対応した広告社の人も、星野さんのことについては全く知らず、結果的に、新聞社内関係者に知らしめることにつながりました。

 一つの試みとして行ってみました。

 「Fumi Akiko 詩画集」 の図書館寄贈について。高砂市立図書館に蔵書登録されました。ただし、書庫に納められているので、窓口で申し出ないと見られないそうです。 

 播磨町立図書館では、蔵書登録されず、リサイクルに出されてしまいました。

 絵は、文昭さんの2001年の作品です。

   燃えるように花ひらく

 一輪の ひまわりよ / そおっと私の心に やってきては / ここに<在る>ことを告げる / こぼれんばかりに / 花ひらいて / 私の生命と重なりあう / ひまわりの輝やきよ                      ( 「Fumi Akiko 詩画集」 より )

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5月31日、姫路で署名活動

08420

 「兵庫・星野文昭さんを救う会」では、5月31日(土)午後2時~3時、姫路駅前(北側=お城側)で、署名活動とビラまき宣伝を行います。是非、お集まりください。

 集合場所は、姫路駅東口(北側)ですが、現場の状況によれば、署名活動自体は、山陽百貨店前になるかもしれません。途中から参加の方はご注意ください。

 なお、署名活動の後、お茶を飲みながらの打ち合わせ会を行います。

 写真は、4月のJR元町駅前での署名活動です。

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星野さんは無実だ(3)

Photo_2 再審を実現するために

 星野文昭さんをとり戻すには、再審を実現することが必要です。裁判をやり直し、「殺人」に関して無罪を勝ち取るのです。
 白鳥決定(1975年)で、最高裁はふたつの重要な基準を示しました。
 その1は、「新旧証拠の総合的評価」です。それ以前の裁判では、それだけで無罪を証明するような新証拠がない限り再審は認められないとされてきました。これは、無実を訴える受刑者にとってあまりにも過酷です。これに対して、新証拠が元の裁判に出されていたとすればどうなるかを総合的に評価する、という新しい判例を示したのです。
 その2は、「疑わしきは被告人の利益に、の鉄則は再審にも適用される」ということです。被告人が有罪であることを立証するのは検察官の仕事です。その立証内容に疑問が生じた時、被告人は処罰されないのです。この近代裁判の鉄則が、再審事件においても適用されるとしたのです。
 この最高裁白鳥決定の後、「財田川」「免田」など4件の死刑事件で再審が認められ、一時は、再審の門が大きく開かれました。現在、名張事件や布川事件で再審開始が決定されましたが、一方、横浜事件や大崎事件で開始決定が出されたにもかかわらず、横浜事件では「免訴」という検察側主張に沿った決定が出され、戦前の治安維持法下の国家によるデッチあげが裁判によってもみ消されました。さらに、大崎事件では、最高裁がたったの6行で開始決定を棄却しました。この2つの再審では、再審開始決定が裁判所によって軽々しく扱われ、開始決定が再審の趣旨に反する判断がなされています。近代裁判の鉄則である「疑わしきは被告人の利益に」を再審にこそ適用すべきであるという原則を裁判所に守らせるために大きな社会的力が必要であると痛感します。

 04年1月19日、東京高裁第12刑事部は、星野文昭さんが申し立てていた異議を棄却する決定をしました。これは、2000年2月に提出した、再審請求棄却に対する異議を退けるものです。
 決定文を見ると、再審弁護団が提出した11の新証拠をひとつずつ個別に検討し、「これだけでは再審を開始できない」と順番に切り捨てています。これでは、先に見た最高裁白鳥決定以前への逆戻りです。
 しかも、星野さんの無実を示す服装の色に関して、「確定判決の前に提出されていたとしても影響を及ぼすことが極めて小さい証拠」としています。高裁自身は、星野さんの服装の色をどう認定するか、ひとことも述べていません。こんな卑劣なことがあるでしょうか。確定判決は、星野さんの服装を「きつね色の背広上下」とはっきり認定しているのです。ここが崩れたら、確定判決全体が崩れてしまうのです。だから、服装の色に関する新証拠は決定的な意味を持っているのです。

 星野さんを取り戻そう

 私たちの目標は、ただひとつです。言うまでもなく、星野文昭さんを私たちの手にとり戻すことです。
 これを実現するために、3つの闘いがあります。
 1つは、裁判闘争です。2つは、社会的運動です。3つは、釈放要求です。
 1.裁判は、今、最高裁に移っています。星野文昭さんと弁護人は、東京高裁が出した08410 不当な棄却決定を取り消し、再審開始を決定するように求めています。
 裁判の焦点は、事実調べの開始と証拠開示、このふたつです。弁護団が心血を注いで完成した申立書と補充書を判断するためには、事実調べが不可欠です。最高裁は事実調べを行え、と要求しています。
 検察官は、いまだに証拠を隠し持っていて、それを明らかにしようとしません。その中に、星野さんの無実を示すものが含まれているのは、間違いありません。最高裁が、検察庁に証拠開示を命令するよう求めています。
 2.これまでの再審裁判で、大きな社会的運動なしに勝利した例はありません。
 日本における再審は、長い間「開かずの扉」と言われてきました。それほど困難なのです。このような状況を打ち破り、再審を実現するためには、第3小法廷に私たちの声を届け、多くの人たちが関心を持っていることを示さなければなりません。
 そのために、新たな星野再審・無罪と釈放を求める署名を訴えています。ぜひ、ご協力をお願いします。

 最初の絵は 「心を豊かにするアネモネ」 と題する文昭さんの作品です。右下の写真はつれあいの暁子さんです。なお、本文は、「東京・なんぶ星野文昭さんを救う会」ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/pinchag_38310_yo よりの無断転載です。

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星野さんは無実だ(2)

Photo  春が芽吹く

まっすぐに肢体を広げて / ふうせんのような / チューリップ / 空に空に自由に / この日あなたは / 舞いのぼる / 花ビラがひらいたこの日

 (「Fumi Akio 詩画集」より)

 以下は東京・なんぶ星野文昭さんを救う会」ブログより転載 http://blogs.yahoo.co.jp/pinchag_38310_yo (無断転載です)

 星野文昭さんは、99年に提出した「意見書」のなかで、次のように言っています。
 「私は、やっていない。私は、一審以来、一貫して主張し、陳述書においても、既に明らかにしているように、中村巡査を殴打していないし、中村巡査への火炎ビン投てきの指示も一切していない。このことを、私は、私の良心に照らして、人間としての全存在にかけて、改めて、一点の曇りもなく言い切ることができる」
 たしかに星野さんは、デモ隊のリーダーでした。しかし、彼は機動隊員1名の死亡には、いっさい関与していません。星野さんは死亡現場から渋谷寄りに10数メートル離れた十字路に立って、別の機動隊の動きを見ていたのです。星野さんの使命は、デモ隊をひきいて渋谷の街に入り、ここで待ち受ける大衆と合流して闘うことでした。彼の頭にあったのは、このことだけです。
 検察官は、星野さんが中村巡査を自ら殴った上、火炎ビンの投てきを指示して、殺害したと主張しました。裁判所も、それを認めました。しかし、それは間違いです。そんな証拠は、どこにもありません。
 警察は当初、デモの主力であった「反戦青年委員会」の労働者に捜査を集中しました。しかし、これに失敗したため、72年になって方針を変えます。未成年を含む群馬県の学生が十数名いることに目を付け、ここから「犯人」をつくり出そうとしたのです。
 その結果、K、I、Ar、Ao、O、Sという6人の学生が、「星野さんが機動隊員を殴るのを見た」、「星野さんが火炎ビンを投げろと言った」という供述をしました。これが、星野さんを有罪とする唯一の「証拠」とされています。しかし、これらはすべて警察に強制されたウソの供述なのです。このうち5人が、公判廷で「私はウソの供述をしました」と真実を語りました。O証人は証言拒否をくり返しました。実際には、証拠が崩れているのに、星野さんは無期懲役とされたのです。
 今も星野文昭さんを無期懲役にしている確定判決は、K証人を、星野さんが中村巡査を殴打したとする事実認定の柱にし、これを、O証人とI証人で補強するという構造になっています。ところが、K証人には決定的な弱点があります。星野さんが殴っているのを直接見ていないのです。次に、その内容を詳しく紹介します。

 星野文昭さんは、「きつね色の背広」を着ていない

 K証人は、当時18歳、群馬工専の学生でした。重要なことは、彼は星野さんとは面識が無かった、ということです。そのK証人が、どうして「星野さんが殴っているのを見た」などと言えるのでしょうか。
 実は、K供述は、① きつね色の服装の人が中村巡査を殴っているのを見た、 ② そのような服装の人は星野さんしかいなかった、 ③ したがって、殴っていたのは星野さんだ、という独特の三段論法になっています。つまり、殴っているところを、直接見たわけではないのです。したがって、星野さんの服装が「きつね色の背広上下」でなければ、K供述は成り立たないし、確定判決の核心が崩れてしまうのです。
 ここで、「きつね色の背広上下」をイメージしてみて下さい。星野さんは、こんな派手な服を持っていないし、着るような性格でもありません。
 星野さん自身は、自分の服装を次のように述べています。
 「私の当日の服装は、上着は、ジーパンを洗って薄くなったような抑えた色合いの薄青色のブレザーで、ウエストの部分が細めになっているスポーティーな形のもの。ズボンは、色は薄いグレーで、形はストレートなもの。シャツは白のワイシャツで、ネクタイは青地の中央部に約10センチの幅の薄い黄色と薄いグレー横斜めの縞が入ったもの。そして、銀メッキのネクタイピンをしていた。靴はこげ茶か黒の短革靴で、黒ブチのメガネをかけていPhoto_2 た」(上告趣意書、84年2月29日)
 K証人以外の人は、次のように述べています。
【Ao証人】 この時の星野さんの恰好は、黒額眼鏡(つるが金属製)、薄水色ブレザー、グレーズボン、黒短靴でありました。
【Ar証人】 この時の星野さんの服装は、空色のブレザー、紺色のネクタイ、白っぽいズボン、黒っぽい革靴をはいていました。
 警察官の証言もあります。
 指導者は二十一、二才、やせ型、小柄な男でした。
 顔はやや面長色白で黒ブチメガネをかけ髪は七・三分位で分け油気はないようですがきちんと整っておりました。うす青色の背広上着白ワイシャツ濃いえんじ色のネクタイ長いネクタイピンをしていました。
 この他にも、星野さんの服装について供述している人が多数います。それらはすべて星野さんの証言と一致します。
 確定判決が事実認定の柱にしたK証人の供述は完全に崩れています。星野文昭さんは「きつね色の背広上下」など着ていないのです。

(右写真は、星野文昭さんが収監されている徳島刑務所の全景です。)

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星野さんは無実だ(1)

Photo

 このブログで、星野文昭さんの救援活動をめぐる基本的な紹介をしなければと思って探していたら、「東京・なんぶ星野文昭さんを救う会」のブログで、非常によくまとめられた文章(昨年9月18日)を発見。全く無断で、その文章を3回ほどに分けて転載させていただきます。http://blogs.yahoo.co.jp/pinchag_38310_yo/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=28 これをクリックしていただくと全文がでてきます。

 これまでの裁判の経緯

 星野文昭さんは、1975年8月6日に逮捕され、「殺人」等5つの罪名で起訴されました。しかし、「殺人」という重罪なのに、物的証拠は何一つありません。あるのは、未成年を含むデモ参加者たちの「供述」だけです。
 第一審は東京地裁で審理が行われました。6人の供述に信用性があるかどうかが、最大の争点になりました。このうち5人が、公判で、警察に強要されてウソの供述をしたと証Photo 言しました。1人は、証言拒否をくり返し、何も語りませんでした。
 79年2月、検察官は死刑を求刑しました。半年間で12万人の署名を集める反撃が行われ、懸命の裁判闘争が展開されました。同年8月の一審判決は懲役20年でした。死刑を強行できなかったのです。しかし、裁判所は「殺人」に関する共謀と実行行為があったと認定しました。
 第二審の東京高裁は、83年7月、一審判決を破棄し、星野さんに無期懲役を言い渡しました。その根拠は、一審判決が認定した「未必的殺意」が、殴打行為の途中から「確定的殺意」に変わったというものです。
 一体、何がどう変わったのでしょうか。東京高裁は、初めは「死んでも構わない」と思って機動隊員を攻撃していたデモ隊の気持ちが、「殺してしまえ」と変わったと言うのです。無期懲役にした理由は、これだけです。しかし、そんな人間の心の変化を裏付ける証拠は、どこにもありません。裁判所が、解釈を替えただけです。
 87年7月、最高裁が上告を棄却して、これが確定判決になりました。この年の10月、星野さんは徳島刑務所に送られました。
 何としても無実の罪を晴らしたいという星野さんの訴えを受けて、91年に再審弁護団が結成されました。再審を開始するには、「新規かつ明白」な証拠がなければなりません。星野さんと弁護団は、苦心の末に新証拠を集め、96年4月17日に再審請求書を提出しました。
 2000年2月、東京高裁は、再審請求を棄却しました。ただちに異議を申し立て、弁護団は3回にわたった補充書を提出しました。
 2004年1月19日、補充書3を提出してから1月も経たないのに、東京高裁は異議申立を棄却しました。1月23日に特別抗告を申し立て、9月28日には理由書を提出しました。現在、最高裁に対して4回目の再審開始要請を行っています。また、全記録の謄写を要求し、勝ち取りました。

 「東京・なんぶ星野文昭さんを救う会」のみなさん。失礼をお詫びします。これからもよろしく。最初の絵は、今年のカレンダーの表紙に使われた文昭さんの絵 「暁子の絵を飾った、誕生日のテーブル」 です。

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雑感 甲山冤罪事件

Photo

いミルクコーヒーとビスケット

しもやけに かじかむ

あなたの手を あたため

体を あたため

心を あたため

子どもの頃

そこにあった「平和」と

ミルクコーヒー

そして あの甘いビスケット

   (「Fumi Akiko 詩画集」より)

 雑感

「心をひらく会」主催者のお一人は、以前、甲山冤罪事件の被害者の女性から話を聞かれた事があるそうです。
 甲山事件は障害のある児童の施設「甲山学園」で起きた二人の園児の死亡に端を発した事件です。冤罪被害を受けた女性は三度も無罪を勝ち取りました。一審無罪判決が出ているのに、やり直し裁判での無罪判決後、控訴無罪、上告断念という一連の経過を見ると、警察・検察はなぜそこまで執拗に犯人に仕立てようとするのかと不思議に思います。そこにあるのは、亡くなった人への思いというよりは、事件の事実関係すら明らかにできない無能さを隠すためと、自分たちは決して間違わないという権力の奢りが見てとれる気がします。
 甲山事件のホームページには、甲山事件が無罪で幕を閉じた理由が次のように書かれています。「優秀な弁護団の熱意とともに、多くの人の支援活動があったことで、その支援の力が冤罪を押し止めた」

 この言葉を見ると、星野さんの冤罪を晴らすために、多くの人たちの支援を、幅広く求めて行きたいと元気が出る思いです。

       

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「心をひらく会」で

Photo_3

 5月16日神崎郡市川町の人権啓発サークル「心をひらく会」で、星野文昭さんの冤罪事件を紹介したビデオ上映会を行いました。
 ビデオ「ある冤罪」は2000年に撮影されたもので、渋谷事件の当時の政治的社会的背景や、判決の根拠になった6人の捜査段階の供述の不自然さを実写やアニメを使って説明した作品です。また、文昭さんの母美智恵さん兄治男さん妻暁子さんが実際に登場して文昭さんの生い立ち、人柄、文昭さんへの思いを語っています。なかでも、沖縄民権の会 古波津さんの「星野は沖縄の人柱になった」と言う言葉は、星野さん冤罪事件の本質を現す言葉として心に残ります。
 この日の「心をひらく会」参加者は8名。みなさん真剣に見て下さり、政治的背景をもった権力によるでっちあげの冤罪であるということを更に強く感じてくださったようです。ある方は「星野さんの事を、こういう映像で見ると、話で聞くのとまた違った感慨があるね」と感想を述べて下さいました。
 このようなビデオを見て貰う事も星野さんの理解を深めるために大切と感じました。

                   (大野世話人 報告)

最初の絵は、「詩画集」にある文昭さんの絵「春の海の音が聞こえてくる」です。

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5月のカレンダー

Photo_2

   アカバナーの手紙(たより)

まだ見ぬ  沖縄(ウチナー)の海を  描く

あなたの  元に

アカバナーの  手紙(たより)が  届く

手紙(たより)は  海を越え

厚い鉄格子の  とびらを開けさせ

房の中の  あなたに届く

あなたは  知っているだろう

十二万の  沖縄(ウチナー)の人々が

今  いっせいに声をあげ

死者たちの  怒りを

ヤマトに  向かって  届けたことを

  「日本軍が  自決を  命じた」

ふりしぼる声が  そう言った時

私には  確かに  聞こえました

  「地の底の骨は

  家族に  会いたがって  いましたよ」

  「誰が  骨を  拾いに行きましたか」

六十年を  引き裂かれた  苦しみで

生きた  深い  沈黙は

この日  怒りに  変わった

あなたは  知っているだろう

沈黙の先には  あの戦争が  あった

そして  その先には

たちはだかる  基地があった

あなたが  そこに  手をかけた時

牙を  むきだしにした

ヤマトの姿が  あった

地の底の  あの戦争と

あなたが  闘った七十年

そして今

ひとつながりの  歴史の中で

消し去られる  汚れた  歴史こそ

我々のものだと

叫ぶ  人  人  人

  (2007・9・29 沖縄県民大会)

「文昭(絵)・暁子(詩) 2008年カレンダー」5月より

絵は 「桜咲く季節を迎えた米沢」

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文昭さんへの面会

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 5月14日、三角忠さん(反戦共同代表)と永井満さん(関西実行委代表)のお二人が、徳島刑務所に星野文昭さんを訪れました。文昭さんと初対面のお二人は、驚くほどの緊張? しかし、面会を終えて出て来られたお二人は、異句同音に、「旧知の親友に会ったような感じだった」と語られるとともに、想像したこともないような温和な文昭さんの様子に感動した面持ち。三角さんからは、現在進め始めている星野さんの獄中からの本の出版の話しを中心に、永井さんからは、三里塚闘争の現局面についての想いを語られたようです。

 面会に先立って、徳島地裁でちょうど開かれていた先日の「徳島刑務所での暴動事件」08514_2 の被告人の意見陳述と検察の論告求刑、弁護士による最終弁論を聞くことができました。

 面会を終えて一休みしてから、徳島駅前での署名活動とビラまきを50分ほど行いました。マイクを持って永井さんが話し出すと(右写真、左はし)、「さすがに辻説法」という感じで止まらない。永井さんいわく、「あの温和な表情の中で、悔しさ、無念さがいかばかりかとふつふつと思えてきてつい力が入った」と、風邪で体調不良だったのも忘れての熱弁でした。つられて私も、50分で署名が13筆と、自己新。徳島のみなさん、ありがとうございました。

 08514_3 最後に、恒例の「みるくうゆ」での交流会。「みるくうゆ」のご主人の河野さんからの丁寧な自己紹介と、ご自分の取り組み、そして「私は暁子さんをどう支えられるかと思って関わっている」などのお話しをはじめ、徳島のみなさんの思い思いの星野さんとのかかわりについてのお話しが出ました。三角さんからは、面会での感想を交えながら、出版にまつわるお話や、争議でのお話しなど多岐にわたりました。永井さんからも、文昭さんの印象を交えながら、震災を通した「石油基地反対闘争」の話や、出された徳島名物「そば汁?」の話に、全体が大いに盛り上がりました。帰りのことがあるので、8時半で、想いを残しながら、徳島のみなさんと別れ、帰途に着きました。

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神戸YWCA訪問

08510ywca

 5月10日、大野、松原の世話人2人で、中央区にある神戸YWCAを訪問しました。YWCAの平和基盤委員会が開かれていて、会議が終わって出て来られた鶴崎会長をはじめ、みなさんに、星野文昭さんの再審・無実を求める私たち 「兵庫の会」 の活動を訴え、賛同を求めました。

 引き続いて開かれた 「過去を知って 未来を作る」「現代史勉強会・いもづる」に参加。「憲法9条と小田実  インサイダースモークからの決意表明」と題した、大阪女学院非常勤講師・藤田昭彦さん(元毎日新聞論説委員)の2時間を超える講演をお聞きし、その後の討論の中で、星野文昭さんの再審・無実、釈放を求める署名への協力を大野さんから訴えさせていただきました。

 この日は、十数筆の署名と、「詩画集」2冊が売れました。

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はじめまして

File0117

 「兵庫・星野文昭さんを救う会」のブログを開設しました。まだ、結成して半年にしかならないヨチヨチ歩きの会ですが、獄中33年、不屈に闘いぬいておられる星野文昭さんを一日も早く取り戻し、再審・無罪を勝ち取るために頑張ります。以下に、会の結成時の「賛同のお願い」を掲載して、ご挨拶に代えます。(最初の絵は、星野文昭・暁子お二人の「詩画集」に掲載された獄中で文昭さんが描かれた絵です。)

みなさん。星野文昭さんをご存知でしょうか。この春には62歳になられます。無実の罪で、すでに33年間も囚われの身となって、今も徳島刑務所に収監されています

1971年、核・基地つきという沖縄返還のあり方をめぐり沖縄でも本土でも闘いが拡がりPhoto_2 、11月14日、東京・渋谷のデモの中で一人の機動隊員が死にました。近くでデモの指揮をしていた星野さんが、見せしめとして逮捕され、殺人罪の汚名を着せられ、無期懲役を科せられたのです。物的証拠は何一つなく、犯人は「キツネ色上下の背広を着ていた」とされるのですが、星野さんは当日「水色のブレザーとグレーのズボン」だったことが判っています。あるのは警察の取調べ室という密室で作られた、「共犯」として逮捕された他の人の「供述調書」だけです。これは警察により作られた明らかな冤罪です。

ではなぜ、裁判所は再審を受けつけないのでしょうか。星野さんを釈放しないのでしょうか。

当時、沖縄返還協定に反対して沖縄をはじめ、多くの人が立ち上がりました。沖縄の米軍基地が固定化され、沖縄がアメリカの世界戦略の「キーストーン(要石)」にされると理解したからです。その通り、40年近くたった今も、沖縄・辺野古への新たな基地建設をはじめ、沖縄戦での住民の集団自決への日本軍の関与という歴史までが、今の政府の手によって消し去られようとしているではありませんか。昨年9月、沖縄での12万人の怒りの声を、みなさんは、どう聞かれましたか。星野さんは、今なおこうした現実への「みせしめ」として囚われている政治囚なのです。

90年には星野さんのお父さんが、昨年6月8日には、星野さんを気遣いながらお母さん08410 の美智恵さんが亡くなられました。星野さんは、親の死に目にも会うことすらできませんでした。また、獄中結婚して20年になる暁子さんと自由に会うこともできません。

私たちは、このような非人道的な立場におかれた星野文昭さんを一日も早く獄外に取り戻し、公正な裁判を受けるという当然の権利をかちとるために、昨年末、「兵庫・星野文昭さんを救う会」 を結成いたしました。星野さんは、獄中にあっても、労働者や抑圧されている人々の解放を常に考えておられます。このままにしておくことは、私たち自身の損失でもあります。この星野さんの再審・無罪と釈放を求めるために、一人でも多くのみなさんに、「兵庫・星野文昭さんを救う会」運動へのご賛同を賜りますよう心から訴えます。お力をお貸しください。

 20081月                          

             呼びかけ世話人  大野恭子 (主婦)

                        木下達雄 (浄土宗大林寺住職)

                        永井 満 (牧師・淡路町空港反対同盟代表)

                        松原康彦 (東灘区住民の会事務局長)

賛同会費 年間 1口 3000円 /  郵便振替番号 00980-7-193794

                        口座名      兵庫・星野文昭さんを救う会

左の絵は、星野文昭さんの自画像、右の写真は徳島刑務所の前で面会を終えて出て来られた連れあいの星野暁子さんです。

 

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